Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

【考察】『The Beguiled/ビガイルド』がなぜ今リメイクされたかについて考える

The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ日本で観ることができなかったので、アメリカでレンタルをして観た。

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雑な感想をいうと、美しかった。笑 ソフィア・コッポラが映し出す花嫁のベールで包まれたような繊細な世界は、甘美な中に女のしたたかさが見え隠れしている気がして見入ってしまう。女の子が彼女の作品を好きな理由はそのお洒落な世界観ももちろんだけれど、成長していく中で感じてきた甘い気持ちや毒っ気がある気持ちが映像になって意識に入り込んできていて、無意識に懐かしさを感じているところもある気がする。

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『ビガイルド』はクリント・イーストウッドが主演を務めた『白い肌の異常な夜』のリメイク。なぜこのタイミングでリメイクされたのかと考えると、このサスペンスは今の時代にぴったりだと思う。作風は全然違うけれどスリー・ビルボード』や『アイ・トーニャ』と同様のテーマを描いているように感じる。それは「人間はその人が完全に善か悪かでは割り切れない」というもの。

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女性ばかりの清楚な寄宿学校に紛れ込んだマクバニー(コリン・ファレル)は最初は女性陣にいい顔しまくり。最後の方にはとある事件があって、暴力で女性たちを怖がらせてしまう。女性たちはいきなりやってきた男性に興味津々。色仕掛けやらなんやら個人個人の方法で彼に接近、キルスティン・ダンスト演じるエドウィーナは本当にマクバニーを愛するようになる。

しかし結末ではマクバニーは毒キノコを食べさせられ殺されてしまう。つまりマクバニーは女性たちを翻弄した加害者でもありながら殺された被害者でもあり、女性たちはマクバニーに翻弄され怖がらせられた被害者でもあるがマクバニーを葬った加害者でもあるのだ。被害者は加害者でもあり、加害者は被害者である、と言うことを描いている作品だと思う。

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今ハリウッドでは『Me Too』運動や『Times up』など、男性に性的暴力を振るわれた女性たちが声をあげたり、男性優位の社会を変えようという声が多く上がっている。しかしフランスの女優カトリーヌ・ドヌーヴブリジット・バルドーらはこの運動に対し『セクハラはもちろん犯罪だが、男性が女性を口説くのは決して悪いことではないし、女性は男性より弱いということもないがシチュエーションによってはそれを選ぶ権利だってある』といったような文書を出している(ちょっと言葉が足りなくなっていますがごめんなさい...)

ムーブメントを見ているとあまりにも多くの俳優がやれあの人もDV男だ、あいつもセクハラ野郎だと言われていて、「これは本当に真実なのか?」と疑いたくなってしまうようなものもある。本当に中にはもしかしたら、売名がしたくてちょっとのことを大きくでっち上げている...なんていうケースもあるかもしれない。

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だから今まで力を振りかざしていた者、加害者であった者たちを必要以上に罵倒し、貶めれば今まで被害者であった者が加害者になるかもしれない。立場が変わっただけで、起こっている争いは集結しないかもしれない。『ビガイルド』のシチュエーションは今の映画業界、社会にフィットしているからこのタイミングでリメイクされたのではないか、と思っている。

 

Me Too運動だけじゃなく、今は世界の美術館から「小児性愛を美化している」なんて言って美術品を取り外そう、なんていう運動も起こっている。「これもダメ」「あれもダメ」あまりにも清浄化された社会は少しのことも異常になり、それまで以上の狂気をうむのではないか...『ビガイルド』の寄宿学校のように。そんなことを思ったアメリカ留学生活2ヶ月目でした。