Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

【2017年振り返り】黒澤映画『生きる』『椿三十郎』に共通するメッセージは?本当に観てよかったと思った理由

こんにちは!Moekaです。

今日は“2017年に観た映画 旧作編”ということで、

黒澤明監督の『生きる』(1952)『椿三十郎』(1962)について書きたいと思います。

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今まで黒澤明監督の作品は、私は『七人の侍』(1954)しか観たことがありませんでした。「つまらなそう」って思っていたわけじゃなくて、とにかく「難しそう...」って思っていて。時代劇はあまり観ることがないので、ちょっぴり抵抗がありました。おそらく映画好きな同年代(とくに女の子)、「難しそう」という理由で黒澤作品は手が出せていない、という人は少なくないのではないかな?と思います...。でも今回観てみて、ほんっとうに、観てよかったです。ほんとに。それは『生きる』『椿三十郎』に共通するメッセージに深く感動したからです。

 

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『生きる』主演は七人の侍』の勘兵衛役、志村喬さん。(ちなみに志村喬さんは私のひいおじいちゃんにめっちゃ似てます)この志村喬さん演じる、市役所で市民課長を務める渡邊という男が『生きる』の主人公です。

渡邊はかつては持っていた仕事への熱情も失い、ただただ機械のように書類にハンコを押す無気力な日々を送っていました。ところがある日、自分は胃ガンを患っており、余命いくばもないことを知ります。そんな渡辺は最期の人生をどう過ごすのか...といった物語です。

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椿三十郎』主演は黒澤映画でおなじみの三船敏郎さん。三船敏郎さん演じる超強い浪人“椿三十郎”が、汚職を告発しようとする若侍たちを助けようとしてみんなで奔走するといったストーリーです。この若侍たちのドタバタっぷりがすごいかわいかった..笑

この『椿三十郎』なのですが、観終わったあとに「これ絶対ガイ・リッチーなんどもみてるやん!絶対好きやん!笑」と言いたくなりました。笑 椿二十郎の時にこの作品に出会えてよかったです。

 

で、なんで「マジで観てよかった」のかというと、「人のために動くこと」の尊さ、そして「人生には人を憎んでいる暇などない」といったメッセージが含まれているからです。

 

(ここから映画『生きる』『椿三十郎』のネタバレを含みます。)

 

『生きる』で主人公渡邊は胃ガンを宣告されたあと、抜け殻のように過ごします。仕事にも行かず、飲み屋をまわってぶらぶら...そんなある日ひとりの作家の青年と出会います。彼に胃ガンであることを明かすと、その作家は今まで渡辺が見たことのなかった夜の世界に連れていってくれます。女遊びやダンスホール、パチンコ...しかしそんな放蕩も、虚しさが残るばかり。

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渡邊は一緒に市役所で働いていた部下の女性、小田切と行きあうことになります。彼女の奔放な生き方や若い溌剌とした生命力に惹かれる渡辺。しかし渡辺が最期に気付かされたことは、“生きる”とは、若くいることでも人生にやりたいことをやりつくすことでも、奔放に生きることでもありませんでした。彼が最期にやりきったこと、それは“人々のために動くこと”でした。

彼は市役所を駆けずり回って、住民が望んでいた公園を完成させるんですね。その公園の計画は長いこと市役所がたらいまわしにしていた計画でした。彼は頭のかたい市役所の人間になんども頭をさげて、ヤクザの脅迫にも屈することなく、住民たちの願いであった公園を完成させるんです。これを見て、“仕事を頑張ること”と“人のために働きかけること”は全く別物なのだと考えさせられました。

 

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椿三十郎』もそうですよね。三十郎は浪人たちのために“人のために”動く。見返りはもとめない。渡邊も最期通夜の席で市役所の人間たちに「なんで渡辺さんはあんな頑張っていたんだろう」とか「これは渡邊さんの手柄というより、◯◯さん(お偉いさん)の手柄かなあ」とかいっろんなことを言われます。でも住民たちは、渡邊がいかに尽力したかをちゃんと知っている。なんて美徳....

 

“言われたことだけを頑張る”のが仕事というわけではない“ただ頑張る”ことが素晴らしい、わけではない“人のために動く”という気持ちがいかに尊いものかというメッセージを噛み締めさせられました。

 

こんなセリフがあります。腰が思い偏屈な職員たちをみて部下が一言「あの人たちひどいですね」なんて。それに対して渡邊は言います。「私は人を憎んでいる暇などないのです。」

椿三十郎』でもあの衝撃のラストシーンのあと(私はこの結末を知らなかったので『ええええやばっ!』となりました。笑)やりましたね!と声をかける若侍に対して三十郎は窘めます。“憎む”気持ちを否定するんです。人にネガティブな感情をもつこと、憎むこと...そんな気持ちなど抱かずに、なすべきことをやりとげていくこと。それが“生きる”ということなのではないか?と思わせられました。

 

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自分は果たして、“人のため”という気持ちを持って動けているだろうか?毎日の頑張りの目的が定まっているだろうか?ちっぽけな感情で、無駄にしていることはないだろうか?“生きる”というのは壮大なテーマですが、この二作品を観て、内省を促されました。だからめちゃくちゃ軽い言い方になってしまいますけれど、“20代の時に観てよかった”です。これからどんな大きな挫折だったり、どん底を味わうかもわからないですけれど、何かあった時にはこれらのメッセージを思い出すと、何か光が見えてくるような気がするんです。

 

今『白痴』も手元にあるので、近々観てみなきゃな...これから黒澤作品たくさん観ていきたい!ではではまたこのへんで:)