Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

【ネタバレ】感想・考察『ブレードランナー2049』大きなプラキシノスコープの中で、「夢を見ていた」

こんにちは! Moekaです。

 

ブレードランナー2049』の考察(というか感想レベルですが...)を

キーワード“夢”に絞って書きたいと思います。

 

(この記事は映画『ブレードランナー2049』のネタバレ、『ラ・ラ・ランド』『アノマリサ』『市民ケーン』の微ネタバレを含みます。)

 

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ブレードランナー2049』この映画に込められている一番のメッセージはやはり“生きるとは何か”であると思います。自分は人間との間に生まれた子供ではなく他のレプリカントと同様のレプリカントだった。しかしそれをわかった上でデッカードハリソン・フォード)を助け娘のところに送り届け、最後雪の中に身を横たえるKのシーンはめちゃくちゃエモいです。市民ケーン』の“薔薇のつぼみ”が思い出されますね。

 

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全てを手にしたものの、最後は孤独に死んでいった新聞王ケーン。彼が最後に残した言葉は“薔薇のつぼみ”。それは幼い頃ケーンが遊んでいたソリに書かれていた言葉でした。富も名声も手に入れた男がずっと求めていた手に入らなかったもの、“母親の愛”。Kも“自分にも幼少期があったかもしれない”“人間との子供、特別であったかもしれない”その望みは叶う事なく、孤独に死んでゆきます。それでも自ら“行動”した彼はA.I.ジュード・ロウが演じたセックスロボットのジョーのように、「僕は生きた」と思った事でしょう。

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Kを演じたライアン・ゴズリングは2017年初頭に公開されたラ・ラ・ランドでも主演をつとめていましたね。今年は『ナイスガイズ!』も公開され、憂いゴズリン、コメディゴズリン、虚無ゴズリンなど様々なゴズリンが堪能できる素敵な年でした。

冗談はさておき(笑)全く違う作品の『ラ・ラ・ランド』『ブレードランナー2049』ですが、ある種では共通しているところがあると感じます。それは「夢」というキーワードです。

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“La La Land”。これはロサンゼルスという意味もあり、そして「Are you living in La La Land?」などというと(役者さんを志している人などに用いると)「まだ夢物語を見ているの?」「まだハリウッドを夢見ているの?」なんていう、皮肉めいた意味が込められた言葉です。

 

ラ・ラ・ランド』でライアン・ゴズリング演じたセブ、そしてエマ・ストーン演じたミアは「ジャズの店を開く」「女優になる」という夢を見ていますね。(映画では二人とも、自身の夢を達成するわけですが)Kも“自分は特別なのではないか”という夢を見ていました。その点では、ちょっと似ているな、と思います。まあでもKは記憶を入れられて夢を“見させられていた”のか...

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あと、『アノマリサ』を想起させられたのは、“特別だと思っていた事が、特別ではないとわかる瞬間の虚無感”という点。

映画『アノマリサ』では、主人公と“その他大勢”がみんな同じ顔なんです。声も一緒。すんごい不気味です。笑 でもそんな主人公の前に、一人だけちゃんと違う顔をした女性が現れます。それがリサという女性。

彼女は特別だ!他の人と違う!そう思い、彼女に恋心を抱く主人公。しかしだんだんと会話をしていく中で、リサもまた他の人と同じ顔に見えてきてしまうんです。“特別だと思っていた人が、特別ではない”とわかる瞬間。その時の絶望というか虚無感、というか。

“夢を見ていた”“特別だと信じたものが、実はそうではなかった”おそらくどんな人でも一度は訪れるであろうあまりイメージしたくない瞬間、しかしそれを経験したKが最後にとった“行動”。『ブレードランナー2049』レプリカントの彼に“生きること”の意味を教わった映画であったと思います。

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すごい話がとっちらかりましたが、最後に“プラキシノスコープ”から考える映画と“生きること”についての話を映画『メッセージ』とからめてしたいと思います。

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プラキシノスコープ、とはこちら。

回転ドラムの中央に鏡の円筒、その周囲に挿絵の帯があります。この円筒が回転すると鏡に映る絵が次々に入れ替わり、さも動いているかのように見える、という装置です。

なぜプラキシノスコープを連想したかというと、前作の『ブレードランナー』、レプリカントのレオンがテストを受けている部屋のブライアントの机に、“写真付きランプ”、そして上には扇風機があるから。これは“プラキシノスコープ”を意味しているのではないか...と思ったんです。

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ブレードランナーは、時間の流れがない(というか限られている)レプリカントたちの世界と、時間の流れがある人間たちの世界を行き来する人々の物語のように感じるんです。プラキシノスコープの中を駆け抜けていく人たちの物語。

このプラキシノスコープを見ると、“映画”についても考えさせられます。キャラクターたちは映画によって動きが与えられ、その作品の中で永遠に生き続けます。再生すれば何度も何度も、プラキシノスコープのように周り続ける。そして私たち観客は彼らを『ブレードランナー』冒頭に登場する“目”のように、見つめ続ける。

 

でも、ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』を思うと、私たちの人生も0から始まってまた0に戻る“円環”であるのかもしれない...  未来も現在も過去も全部同じところ、プラキシノスコープでいう円筒のところにあるのかもしれない。

「全世界は一つの舞台であって、すべての人間は役者にすぎない」なんていうシェイクスピアの名言もありますが、じゃあ私たちを見つめているのは一体誰なんだろう?あの“目”は誰なんだろう?と思うと、すごく不思議な気分になります。

 

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『メッセージ』前作の『ブレードランナー』、そして『ブレードランナー2049』。きっとぐるぐる回っているであろうこの世界と自分の人生の意味と... 途方もない問いかけの答えををちょっとイメージできるような、少し目に見えたような、そんな気持ちがします。あと何回観れば納得のいく考察ができるんだろう。笑