Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

【日記】外に出てアイデンティティに出会う

毎日少しずつ緊張しながら過ごしている。

まだ慣れ親しんでいる環境ではないから、生活しているだけで留学生活は勉強になる。高校時代に勉強した内容をもう1度英語で勉強するのも、日本とは全く違うエッセイの書き方を勉強するのも、もう分かっているはずのことを角度(言語)を変えてまた学ぶというのはとても面白い経験だと思っている。でも外からやってくる刺激や学ぶことが多い中でも、日本と同じように自主的な勉強、映画を観たり本を読んだり...そんなことも大事だと思うので、気を抜かないようにしようと少しピリッとしながら留学生活2ヶ月目を送っている。

 

 

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留学にやってきてから、いろんなことを実感した。

頭で分かっていたこと、分かっていたことを肌で感じることが多い。

例えば「いろんな人がいる」ということ。

人それぞれ違うのは当たり前だしそれは日本でも思っていたことだけれど、アメリカ、私がいるロサンゼルスは特にたくさんの人がいる。みんなアメリカ人だけれど、白人、黒人、ラテン系、アジア系...すごく単純な言葉だが、本当にいろんな人がいるのだ。同じラテン系で集まっている人たち、黒人だけで集まっている人たち、白人とアジア系のグループ。アジア系に関しては本当に少ない。うぬぼれじゃなくたまに学校や近辺で「あの子は何人だろう?」という視線を感じるぐらい、日本人はちょっぴり珍しい存在、であるのかもしれない。(私の住んでいる付近では。)

そして「いろんな考え方がある」ということもそうだ。

 

まだ私は黒人のよく話す友達はいないけれど、数人アジア系、メキシコ系、白人の友達ができた。私の行っている学校は留学生ももともと少ない上、日本人もほとんどいない。みんな私が初めての日本人の友達だという。好奇心で「日本や日本人に対してどんなイメージを持っていた?」ということを質問したら、みんな答えてくれた。

 

「人が本当に多くて、便利で、ファッションがクール」

「みんなシャイで礼儀正しいイメージ。女の子が可愛い!笑」

「アニメが大好きだから早く日本に行きたい(本当にドラゴンボールのTシャツやストラップを持っている男の子がいっぱいいる」

「俺はイメージを持ったことがない。だって確かに大多数はこういう人が多い...というのはあるかもしれないけれど、結局は個人個人みんな違うから。それはどこの国でも一緒だと思うから、あまりこう!っていうイメージはないなあ」

 

後最近、メキシコ系の男の子にこう質問した。それは彼が私に映画『ブラッド・イン・ブラッド・アウト』をおすすめしてくれて、それを観た後のこと。

 

 

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この映画はメキシコ系アメリカ人3人の青年が少しずつ違ってゆくそれぞれの人生を生きる...という熱気がほとばしるギャング映画なのだが、その映画の彼らの自我は“アメリカ人”ではなくずっと“メキシコ人”だった。それで思わずその友達に「私はずっと日本で日本人にかこまれて育ったから、日本人であるということについて考えたことがなかった。あなたはご両親はメキシコ出身、あなたはアメリカでずっと育っているけれど、あなたのアイデンティティはメキシコ人なのか」と聞いてみた。答えはやはり「YES」だった。

 

「僕はヒスパニックのカルチャーが大好きだし、自分のことはもちろんメキシコ人だと思っている」そしてこう続けた。「僕は白人のことがあまり好きになれない。彼らは利己主義的に見える。自分がどう思おうと、大多数が良いということにはYES。大多数にどう見られるかということを考えて振舞っているように見えるんだ」

「君は日本で育ってきたから僕らに対しても誰に対してもフラットな目を持っていると思うし、それは悪いことじゃない。でもすごい複雑なんだよ。長い歴史があるから」

 

もちろん彼のいうようにすべての白人の人が利己主義的だなんて、そんなことは無い。でも彼が、彼の家族が今までアメリカでどのように過ごしてきたか、メキシコ系としてどのように接せられたことがあるか私は知らない。ニュースや記事で読む現在の移民についての問題やトランプ政権のこと、本当に大きな中の一部分しか。

 

このように様々な人種の人から様々な考えを聞く毎日、どの意見ももちろん興味深く感じる。なぜなら日本では聞けなかったことだから。それでももちろん彼らのどの意見、どの概念についての考え方も正しいというわけでは無い。 自分の信条や誠実であるというものに照らし合わせて自分の中に落とすことが大切だ。「この人はこういう発言をしたから自分とは合わないわ」「差別的な人なのね」と割りきらず、十分に意見を聞いた上で。ここは理解できるけれど同意はできないだとか、その考えはカルチャーから影響を受けているものなのかだとか、様々なアイデンティティを持つ人々が集まって「人間関係は難しい」というのもしっくりと実感したような気がする。

 

留学にきてから「誠実であること」について以前よりも考える。私は22歳女性の映画好きだが、日本人だからだ。私の意見は映画好きの意見でもあり、女の意見でもあり、そして日本人の意見でもある。私の言葉は「Moekaが言ったこと」としても受け取られるだろうが、「日本人の言ったこと」としてももちろん受け取られるだろうと思う。「日本人らしさ」とは何だろうか。本当の武士道ってなんだろう?留学前に九鬼周造の「いきの構造」を読んだけれど、読んだだけではどの国の言葉でも当てはまる単語が無いと言われている“粋”を実践できているわけではない。

ただ今海外で「人間として誠実な行動」をとるということは(当たり前のすべきことだろうが)自分の国にとって良いことだと、そう強く実感している。

 

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まとまらないでごちゃごちゃ書いたけれど結局“肌で感じること”というのは素晴らしい体験だ。そして自分の場所を離れたところで自分のアイデンティティを発見するというのも。ちなみに『レディ・バード』はそういう映画だったよ!!