Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

【ネタバレ有】映画『エンドレス・ポエトリー』感想 これから行き詰まることがあった時、絶対にこの作品を観返すと決めた

 

こんにちは!Moekaです。

11月18日、今年1番楽しみにしていた映画と言っても過言ではない作品を観に行ってきました。アレハンドロ・ホドロフスキー監督『エンドレス・ポエトリー』です。

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ホドロフスキーおじいちゃんの映画といえば「うおおおおお」といった映像(語彙力w)が魅力の一つだと思います。笑 ホーリー・マウンテンではあんなものこんなもの食べたり、動物がとんでもない扱いをされてたり、男女の裸も何回観たことか。『サンタ・サングレ 聖なる血』もなかなかグロテスクな表現が多かったですし...『エンドレス・ポエトリー』の前作である『リアリティのダンス』でも、「うわああああ!かけてる!かけてる!(観たことがある方はどのシーンか察してください...笑)」というシーンがありました。笑

それらの過激というか凄まじいと言うか芳醇な映像表現は、決してただただヤバいわけではなくメタファーなのですが...でも本当に刺激は強いので、「超おすすめ!」とすぐに言うのは少し憚られてしまいます。笑

 

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(『サンタ・サングレ』より)

 

ただ『リアリティのダンス』と『エンドレス・ポエトリー』は他作品と比べると(これは影像表現の度合いが低いとかそういうことではなく)“観やすく”なっているのではないかな?という印象です。(18禁なのでいろんなものがめちゃめちゃ出てきますけれども。笑) 『エンドレス・ポエトリー』は前作よりもいっそう色彩が濃く、ロマンティックで、力強く、そして泣ける映画でした。すごくゆるい言い方をすると“モチベーションアップ映画”だった!嘘じゃないよ!笑 “生きること”を肯定する、ホドロフスキー監督から私たちへのエールでした。

 

(この記事は映画『エンドレス・ポエトリー』のネタバレを含みます。)

 

まず簡単にあらすじを。

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舞台はアレハンドロの故郷、チリのトコピージャから離れ首都のサンティアゴへ。

相変わらす自分を支配しようとし、医者へなる道を強要してくる父との関係に悩んでいるアレハンドロ少年。そんな彼はある日、“詩”との出会いを果たします。その美しさに惹かれ詩人になることを決意するアレハンドロ。しかし父は許してくれるはずもなく...

「やだやだ!こんな家クソ!」と言い、アレハンドロは家を飛び出し、いとこの紹介で先駆的な考えを持つアーティストたちがたくさん住む家に移ります。(ここで登場するバレエダンサーの格好をした女の子がとても可愛いです。『サンタ・サングレ』にも登場する女の子もダンサーのような格好をしていたような...)詩人が来たと大歓迎を受け、今までにない至福を味わうアレハンドロ。彼は「詩人はみんなあのバーに集まるんだよ」と教えられたバーに行き、ステラと言う強烈な女性に出会います。

 

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とまあ、アレハンドロ・ホドロフスキーの過去が、詩的な影像によって語られて行くわけなのです。

詩という翼と出会った、恐れ知らずの少年期。

初めての恋、ミューズとの出会い、性の美しさに触れ、アーティストたちと芸術について語り合った青年期。

傾けた情熱から、満足の行くものが生まれなかった虚無感。

詩とはただ待っているだけではなく(詩人が集まるバーに集まっている人々は、みんな死人のようにうずくまっています)動くことだと実感した時の高揚感。

自分の道を進んでいっても、それでもしこりのように残り続ける父との確執。

 

生きるとは?創るとは?詩とはなんなのか?自分は何者なのか?散々苦しみ、もがき通した彼の姿が綴られてゆきます。

 

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いろいろ書いて、まとめてブログにしようと意気込んでいたのですが、もううまく書けません。笑 だってホドロフスキー監督が伝えるこの“生きること”のメッセージは、映画にぎゅっと凝縮されているので、陳腐な言葉に言い換えてしまうと高尚さが失われてしまう気がします。笑

でもすごい心に残った台詞は、「蝶はハエになれないんだ」という言葉。

 

これは詩人として尊敬していたニカノール・パラ(合ってるか不安)にアレハンドロが放った台詞です。彼は優れた詩人でしたが、普段は学校の教師として生計を立てていました。

「詩に身も心も捧げたい」というアレハンドロにパラは言います。

「今は人々は詩どころか、本も買わないじゃないか。君も勉強をして、私のように教師になる道が良いのだよ」

そこでアレハンドロは「蝶はハエになれません!」ときっぱり。(パラは「教師はハエじゃないよ...」と。笑 ) そして「自分は背水の陣を敷くんだ!」と言ってチリを飛び出し、パリへと旅立っていくのです。

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アレハンドロ青年は「自分は何者なんだ?」と何度も何度も問いかけます。でもそのたびに未来のアレハンドロが優しく諭します。「頭では分かっていないことも、心ではもう知っている」と。答えは全て自分の中にある、ということなのでしょうか。“自分は何者でもないけれど“自分自身”である”ということを強烈に考えさせられました。より高みにいくためには自分の仮面をとって、“自分自身”を磨かなければならないと。

 

そして、“終わりがない探索”だからこそ全ての瞬間が美しいということと、燃え尽きるまで必死に生きるからこそ“人生は詩のようである”ということ

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最後アレハンドロは故郷を離れ、単身パリへと旅立ちます。ラストの方に自分の悲しい思い出にそっと魔法をかけるような描写があるのですが、そこの“愛”に号泣。そして父親との思い出に“映画だからこその”浄化をするシーンにまた号泣。笑 下半期一番泣いた自信があります。笑

 

生きていても死んだような人間にならないためには?自分らしく生きること、いつか死ぬと分かっていても生きなければならない意味、そんなことを教えてくれる『エンドレス・ポエトリー』観る人全員に絶対に絶対に突き刺さります。他の映画で観ることのできない表現もあり、笑えるところもたくさんあり。私もこれから全くどうなるかわからない勉強の道を進もうとしているので、ああ頑張らなければと元気付けられました。観てよかった!ほんとに!

 

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