なぜ本を読むのか?について考えた+読書するときに実践していること/気をつけていること
昨日Twitterでお見かけしたタグ。#なぜ本を読むのか というものです。私はこのようにツイートさせて頂きました。
#なぜ本を読むのか 知らない美しい言葉に出会えるから。自分が探していた"何か"への答え、その糸口が提示されていることがあるから。嘘ではなく人生を変える考え方、一節、台詞に出会えることがあるから。今まで自分の頭になかった思想に出会えるから。その一冊が大きな糧になるやもしれないから。
— Moeka Kotaki (@moeluvxxx) 2017年12月7日
なぜ本を読むのか?今は電子書籍などでも簡単に本が読める時代。以前より本屋さんも少なくなっています。戯曲作品など読む人が少ない本は、回収されるために結構高いお値段で売られているものもありますよね。
私は小さい頃からお母さんに本を読ませてもらっていた記憶があります。推理小説が好きで江戸川乱歩や『シャーロック・ホームズ』シリーズ、あとは日本の宮沢賢治や新美南吉も読んだっけ。太宰治や夏目漱石を読むことができるようになったのは最近です(ちびっこの頃も読んだけど、わかんなかった...)。文章や映画が好きなのは、自分の人格は小さい頃の“読書”の経験が基になっている気がするので、お母さんにとても感謝しています。
今回はTwitterの文字数では収まりきれなかった“なぜ読書をするのか”という大きな問い、そして本を読む時に実践していること、気をつけていることについて書きたいと思います。
#なぜ本を読むのか
知らない美しい言葉に出会えるから
日本語って難しい!笑 本の中にはたくさんの言葉が詰まっています。今ではもう使われないいわゆる“旧字”で構成された漢字。哲学書が訳されたものを読むと特にたくさんの言葉に出会うことができます。“繊巧”、“包摂”、“畢竟”なんて言葉普段は使いませんもんね。笑 私は将来ものを書く人になりたいと思っているので、本を読んで自身のボキャブラリーをどんどん増やしていけたらという気持ちです。
語彙が増えれば自分のことをもっと理解できるのでは?とも思います。“なんて言ったらいいかわからない気持ち”とかを説明できる言葉に出会えるかもしれないから。
自分が探していた答えに出会えるから
考えても考えてもわからないことって多いです世の中...恋愛のこと、自分の夢のこと、将来のこと、大きくいうと人生のこと。でも本を読むとその疑問の答えに巡りあえることがあるんです。先人たちが記したものだから。
自分の疑問の答え、結論を知ることができる。それか今まではそう思わなかったけれど、「そうか、それって確かに疑問だわ」といった新しい洗練された問題に出会うこともあるかもしれない。「この人は今自分と同じ立ち位置にいる。そうか、こうしたら正解なのか」とわかること。哲学書は今まで考えたこともなかったような思想に出合わせてくれます。
でも本を読んでいろんな考え方に出会えば、「これは自分と違う」と思うこともある。自分はこっちの考えに賛同する、この意見には良いと言えない、それはなぜなんだろう?と咀嚼していくことが大事かと思います。
反面教師にできる(笑)
物語にはいろんなキャラクターが登場します。『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのように、「散々いろんなことが降りかかるけど、1人でも前を向いてずっと生きていきたい!」っていう風に思わせてくれるキャラクターもいれば「あ、こういうことしちゃダメなんだ」って反面教師にさせてくれるキャラクターも。笑 こ
ういう恋愛の場合こんなことは言っちゃいけないんだとか、この人はこういう生き方をしたから破滅に向かったんだとか...本を読んでいる間に主人公たちと人生を共有して、自分も成長でき、学びがあるところも魅力なんじゃないかな。
“考える力”がつく
本は難しいです。難しい言葉がぎっしり並べてあるものもある。昔の本を読んでみればまず文法がわからない。笑 哲学書を読んでみれば、主語を見失わないようにするのが必死。笑 その上どんどん今まで知らなかった知識が提示されていく...読み終わったあともその本について考えます。「あれは結局どういうことだったんだろう?」「自分はこの考え方を受けてどう思ったんだろう?」自分なりの結論が出て、やっと「その本を読みきった」ということなのかなと最近思っています。
そうして考える力が身につけば、何か問題が出てきた時に解決しやすくなると思うんです。それに、“考えた方がいい問題”“話し合うべき問題”と、“別に深く考えなくていいこと”の区別もしやすくなると思います。思考力を高めるという点で読書はとても良いと思います。
“運命”と感じる言葉、一節に出会える
くさいですけど嘘じゃないです!!!笑 「そうそうこの文今の私にぴったり」「そういえばあの時はなんとも思わなかったけど、あの本に引用されていた詩は自分にとって大きな糧になってる」「難しい言葉は使われてないのに、あの文に救われた気がする」そんな“ピン”とくる言葉に出会える時がきます。
私だったらニール・サイモンの戯曲『ビロクシー・ブルース』の中の台詞や『ダニーと紺碧の海』の台詞だったり、哲学書『ソクラテスの弁明』だったり。そこから考えが大きく変わったといっても過言ではないくらいの文、言葉を見つけるのは素敵な経験だと思います。それは先人たちがご自身の経験を、考えを書き記した“本”だから巡り会えることなんじゃないかな、と。
一つよりも、多くから
私はまた映画が好きなので、映画をより深く観るために本から知識を得ることは大事だなあ...と思っています。映画の中で登場人物たちが本を読んでいたり、哲学書や物語から台詞を引用してってことあるじゃないですか。例えば『アリスのままで』には“三人姉妹”や“エンジェルス・イン・アメリカ』という戯曲が登場します。哲学、詩、歴史、洋服、映画の原作...たくさんのことを知っていればその作品を読み解くのがもっと楽しくなると思うし、考察しやすくなると思います。
なんでも一つだけの理由(原因?)から考えるより、たくさんの分野から考えた方がいい気がします。(引用元がたくさんあるっていうのかな?)だから映画をしっかり観るためにも、読書も並行してやっていきたい!
読書する時に気をつけていること
なぜか小さい頃から速読の才能だけはあるようで、読むのはめちゃくちゃ早いです。(文字を追うというより、ページを見て文字が頭に入ってくるという感触です)でも今年でめっきり遅くなりました。それは本を開いている時にパソコンを開いて、ワードにメモっているからです。
さっきもお話した通り哲学書や昔の本はまず「読めねえよ」って漢字ばっかり。笑 最近からその本のわからない言葉、漢字などは全部パソコンで調べてワードに書いて、“自分なりのその本の辞書”を作りながら読むことにしました。(服や模様の説明は写真を挿入したり)哲学書だけじゃなく、ジョン・ル・カレ作品もすんごい時間がかかった...知らない国や地方がごまんと記されているので。この作業時間がかかるし、慣れない当初は面倒臭く感じました。でも慣れます、絶対。そしてすぐにはわからなくても、確実に自分のためになります。そして調べるのが当たり前のような本をたくさん読んでいると、もっともっと難しい本に挑戦しやすくなります。「読み応え」が実感できるというか。
もっと早くやってればよかった....
(ここからはちょっと個人的な話)
でも本も量をたくさん読むことではなくて、“選んで、その一冊を読み込む”ってことが本当に大事なんだなと実感しております...
作家さんによって文章も雰囲気も違いますし、その世界観に浸ることはとても楽しいです。でもたまに読んでいて、「あの本とこの本、言ってることが一緒な気がする」「これってあの考え方一緒なのでは?」「この答えよりもっと自分が納得がいく答え、この前読んだなあ...」と思うことがあります。同じことが書いてある本を読むよりも、全く違う本、新しいことが書いてある本を手に取る方が成長にはつながる、と思う。
今私はまだまだ知識の蓄積がない状態。だから今本を読む時は、なるべく昔に書かれた作品を読むようにしたいと考えています。それこそ哲学書だったり、20世紀前半に書かれたものであったり、映画史の本であったり。今は九鬼周造の『いきの構造』という本を、「アメリカにいく前に日本の心を知りたい!」と思って読んでいる最中です。
だから今の状態で本を読むとしたら、「何かの根本が書いてあるもの」「普遍的に繋がっているもの」をチョイスしたいです。読書はとても時間がかかりますし、1日の時間にも限りがありますから...こうして書いてみると、“本を選ぶ”というのも難しい。(「多読は罪」って、誰か言っていたような)
そんなわけで、#なぜ本を読むのか でした!いろんな人の意見も知りたい!