Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

考察/感想『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』プラトンとロックと愛

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を観た。近年では『パーティーで女の子に話しかけるには』を発表したジョン・キャメロン・ミッチェルが監督、脚本、主演を務めた映画である。もともとはオフブロードウェイで上演されていた舞台を映像化したそうだ。「今この時にこの作品に出会えてよかった」という、準備されていたかのように手にとった映画がぴったりとはまって余韻から抜け出せなくなるこの感覚、だから映画好きはやめられない....

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性転換手術を受けたものの股間に“怒りの1インチ”が残ったロックシンガーの主人公ヘドウィグが故郷ベルリンを離れアメリカに渡り、自分の“片割れ”を探し続ける。別れた恋人トミーは自分の曲を盗んでトップに上り詰めたと今では裁判問題。ヘドウィグが探し続けるものはどこにあるのか、見つかるのかと言う物語である。パワフルな声でヘドウィグが自分の軌跡と感情を歌い上げる。

本作のエンディングでありテーマでもある歌『Origin of Love』のベースは哲学者プラトンの『饗宴』だ。これはプラトンが残した「対話篇」で、詩人アガトンが催した宴にプラトンの師ソクラテスが招かれ、そこにいる者たちと愛について話を繰り広げるというものである。

かつて人間は一人二組で、四本の手足を持っていた...という下りから歌詞は始まる。それは愛が生まれる前の物語。男同士が太陽の子、女同士は大地(地球)の子、そして月の子は男性と女性の間の子。しかし人間の不敵さに恐れをなした神々が彼らを引き裂いてしまった。だからというものは引き裂かれた自分の片割れを探し、元どおり一つになりたいと言う感情。それが『Origin of Love』の内容である。『饗宴』をベースにしているもののインドの神やオシリス、ナイルの神まで現れることから大きく飛躍していることが分かる。

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ヘドウィグが歩んできた人生。故郷を離れ、アメリカに渡るために性転換手術をした。男性器を捨て海を超えたものの、相手の男には捨てられた。自分を奮い立たせるためにウィッグをかぶり、メイクを施した。そこで運命の相手だと信じたい、心から愛した相手と出会う。それがトミーだ。しかし彼はヘドウィグの“怒りの1インチ”まで愛することができず、ヘドウィグから音楽の知識を吸収し、曲を奪って去って行ってしまった。そしてヘドウィグは“夫”のイツハクに強くあたりながら、売れずにロックミュージシャンとして過ごしている。そのあとひょんなことからヘドウィグは注目を浴びることになるのだが...

 

結論から言うと、片割れだと信じたかったトミーは、片割れではなかったのだ。自分がずっと追ってきたものは、片割れと思っていたものは、最後ヘドウィグがトミーと同じ格好をしているのをみると、それは自分の影だったのだ。そしてヘドウィグはカツラも、メイクも、ファッションも脱ぎ捨てて、その鎧が無くても自分自身を受け入れることができるようになった。得るために何かを捨てたり、守るために何かを身につけたり...アイデンティティを模索し続けていたヘドウィグは自分の影/片割れと統合することにより、もうすでに“完全”だと知ることができた。トミーを見ながら涙するヘドウィグ/キャメロン監督の姿はあまりに哀切で美しかった。

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最後何も身につけず夜道をよろよろと歩いていくヘドウィグ。ヘドウィグはその後、“片割れ”探しではなく、今の自分の姿のまま、相手もそっくりそのまま愛することができる道を歩んでいくのだろう。ヘドウィグは現在の夫であるイツハクにはひどい仕打ちをしていた。しかし最後彼にウィッグを与え、イツハクは喜びの涙を流した。自身も不遇な時代を辿ったものの、実力があるイツハクをヘドウィグは抑圧していたのだ。人を失った虚無感、欠落感からそばにおいておいたイツハクを自由にする。それができたからこそ、ヘドウィグは次こそ“全体”の自分で“全体”の相手を愛せるのではないか、と思う。

プラトンの『饗宴』“愛の起源”の話に戻るが、この“1つになる”、元の形というのは魂のことなのだろう。人生で探し続ける様々な“何か”、それは自分がもともと持っていたものであり知っていたものなのかもしれない。そして紆余曲折を経て、生と死を終えそれも統合され、“魂”という形で存在し続ける。『ガタカ』や『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』をみると、ふとイデア論のことを思う。『洞窟の寓話』じゃないが愛、美、正義、イデアは目に見えるものではない。だが目に見えなくとも“真実”を求めて、完全を求めて生き続ける。殻を脱ぎ捨て、自分自身を解放し、探し求めていた自分の一つのアイデンティティを受け入れる本作は内に帰していく、奇抜なルックスと反して静かに強いイメージを受ける。

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性を超越した稀代のロッカーたち。彼らは魂の咆哮を芸術に変え、どこへ還っていったのだろうか。そこは煩わしい何もかもから解放された、真に自由で永遠の場所なのだろうか。ロックに乗せたヘドウィグの旅は、不完全な私たちに全体を受け入れる強さを、目に見えなくとも強く永遠に存在する“何か”きっとそれが愛なのかもしれないが、こうしてかくと綺麗事のように聞こえるが、(笑) 教えてくれるものだった。