Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

ゴダール『気狂いピエロ』は人生最高の映画だ

先日雑誌『東京グラフィティ』さんにお声掛け頂き、“映画好き100人が選ぶ人生最高の映画”特集で私もレビューを書いた。もう少し理性がなかったら「あと3本選んでもいいですか?」といいそうなくらい散々悩んだものの(迷惑)やっぱりこれ以外に無いということで私が選んだのはゴダールの『気狂いピエロ』。

f:id:roserosemoeka:20180507015916j:plain

すごい映画だと思うし、訳の分からない映画だと思うし、初めて観たときは途中少しつまらなかった。笑 数々の書物や絵画や詩の引用で構成されている映画である。ピカソマティスルノワール。映画とは何か?サミュエル・フラーはこう語る。「映画は戦場のようだ。愛だ。憎しみだ。暴力だ。行動だ。死だ。そして感動だ。」『気狂いピエロ』は私にとって、超私的な感情に突き刺さる映画だ。自分のためにこの映画を好きな理由を書き留めておきたい。

 

反米宣言であり、アンナ・カリーナへの失恋、自分の映画監督人生についての映画であることも間違いないだろう。この映画は様々なぶつ切りの物事が詩的言語によってゆい合わされている。一見全く関係のない物事、数々の創作物も自分自身を形成しているものだ、『気狂いピエロ』作品そのもののように。

f:id:roserosemoeka:20180727145732j:plain

自分は文章を書くことが好きだ。2年か3年かライターの仕事をしていた。それ以上に自分で物語や詩を書くことが好きだ。物書き、また物書きであり続けたいというのは奇妙な自我で、常に自分の文章を考えていなければならない、考えざるをえないというところがある(私はそうだ)。フェルディナンのように恋人といてもその人との間にある空間や感情、一緒に見る美しい景色をいかにまた美しい言葉で綴るか、その時のイデオロギーを、流れていく世間の出来事をどう綴るか必死に考えては、いつの間にかすぎていってしまう時間をぼんやりと眺めて1人取り残されたような気分になる。

「あなたは言葉で語る。私は感情で見つめているのに」

「君とは会話にならない。思想がない。感情だけだ」

「違うわ。思想は感情にあるのよ」

「人と人の間に存在するものや空間、音や色を書く。そこに到達すべきだ。ジョイスが試みたが、それをもっと完成させねば」

f:id:roserosemoeka:20180727145747j:plain

気狂いピエロ』の結末はランボーの詩だ。空と海が溶け合う美しい青、全ての争いが終わった後に訪れる静かな永遠...恋人に愛想をつかされるまで言葉を書き続けたフェルナディンは死さえも笑いになり、マリアンヌが言った通り本当に道化になってしまった。ただ、監督のゴダールは生きている。失恋や葛藤、ピエロになったフランス、戦争するアメリカを見ながら、あの結末通り現実と虚構が溶け合う映画という永遠を作り続けている。この事実がたとえバラバラの物事が自分の内と外に広がっていようと、何とか言葉をオールにステップを踏んで行こうと考えさせられる、自分にとって最高の映画と思う理由かもしれない。

f:id:roserosemoeka:20180727145801j:plain

私はゴダールの再来と呼ばれるフィリップ・ガレル監督も大好きなのだが、この2人の映画の登場人物に共通するのは(これは他の監督作品にもあると思うが)流れてゆく社会情勢を見つめながら、閉鎖的な世界で破滅という形を選ぶものであると思う。ただそれはこちらから見てみれば破滅、いわゆる死の形を選んでしまったように見えるが、本人たちからみれば望んでいたこと、肉体を捨てて自らの内に帰していく力強さを感じる。革命や動乱の波に乗れず離れて、それでも人間の生において普遍的で重要なことを求めて模索しながら繊細に生きる彼らには深い憧憬を抱かざるをえない。

 

ここまで読んでくださったみなさま、Twitterをフォローしてくださっている方、私に素敵な機会を与えてくださった東京グラフィティさん、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。

 

Twitter @moeluvxxx