Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

1日早く生まれれば手塚治虫と同じ誕生日だったのに

2018年11月4日で23歳になる。これからボヘミアン・ラプソディーを観にいくのだがバスを待つ間にこれをメモ帳に書いている。毎年のことだが一つ年が増える実感はまったく無い。去年の誕生日は確か前日にノクターナル・アニマルズを観にいったせいで一日その映画について考えていたためまったく覚えていない...

 

22歳はまだほんの20年少ししか生きていないものの人生が変わってゆく節目の年の一つであったことは間違いない。自分がアメリカに来て、大好きな映画に携わって生きていくために本格的に勉強する道を選ぶとは思っていなかった。今までの仕事をやめたことや、友人たちが社会にでたことに対する焦燥は直に消えた。漠然と知っていたことを明確に知ること、今の芸術の根本を学ぶことが何よりも穏やかにしてくれたし、満足させてくれた。

 

アメリカに来て変わったことは、あんまり無い。日本と生活はあまり変わらない。もちろん日本の友達もいなければ家族も一緒にすんでいないし猫にも触れないしツタヤも渋谷も原宿も下北もないけれど、映画をみて本を読んで、友達とは電話をして、書いて勉強して過ごしている。こちらの生活はすぐに慣れたように思う。

 

自分に向き合う時間は多すぎるほどに多かった。一月は学校も始まっていなかったため毎日1人、1日一回は外にでて、映画をみて、ひとと電話をして、物語を書いたり、構想を考えたり、とりあえず映画をみて過ごした。笑 日本がどんどん変わっていくのを画面の中でずっと観ていた。さまざまな人が政治を話すのを、リベラルを語るのを、LGBTQについて考えるのを、日本という国の根本にある改善されるべき部分を話すのを見たし、ハリウッドが変わるのを、イデオロギーを照らした映画が生まれるのを、多様な人種が暮らすここで見ていた。それに対して自分の意見はうまれたし、今は声があがるとき、あげるべき時なのだろうとも考えた。それでも個人的に、私の何かに向けられる情熱や激しい好奇心、憧憬のようなものはいつも絶え間無く動いている大きなエネルギーの流れからは離れたところ、もしくは自分の内側のみに向けられているように思えた。それをぼんやりとだが淡々と考えた歳でもあった。視野を広げ、議論されるべき話題がたくさんある時代、私はただただ自分だけの中に広がる、収拾のつかない混乱、漠然とした悩みに引っ張られ、簡単に言えば興味を持つことができず、さて、何を探して、何を相手に戦っているのだろう。これは無知が原因なのだろうか。それとも単純に、無関心な人間なのだろうか。そんなものなのだろうか。22歳はまあ、決して多いとは言えないが物語やら詩やらを書いた歳だった。読み返してみると似たり寄ったりで、ひどく個人的なものだった。おそらく人の為に何かを、という動機は欠けているのだと思う。ただそれは自然に発生するものであって、作り出した動機で書いてもきっと仕方がない。23歳の年は変わるかどうかも分からない。

 

書く。気狂いピエロから引用すれば人と人の間に存在する空間や色を書く。それが徒労に感じられる作業であっても、出来上がった時に屑になっていても、ひたすら毎日物を書く。断片的なイメージをできる限りの言葉を手繰り寄せ、1つの物語にする。この歳も22歳と同じ、その作業に取り組むだろうし、今何を1番求めますか、何を1番したいですかと聞かれれば、これ以外いつも思いつかない。知識が増え、世界がさらに広がればスタイルも変わるかもしれないし、書く内容も変わるかもしれない、それでもまた、内面的な、小さな世界の物語に変わるかもしれない。それでも、外から得る知識を噛み砕きつつ、それがただ数字に現れる成果としてではなく、実践へ移せるように。どんなものでも自分が信じるものの中で戦えるように、時々は手足を伸ばしながら、過ごしていきたい。

 

[追記]

ボヘミアン・ラプソディ見終わったんだが劇中でハッピーバースデーを歌うシーンがあって、なんでこれを誕生日当日に選ばなかったんだろう...