Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

私の文章に読む価値はあるか?

 

2018年、アメリカでの留学生活が始まり、よく勉強した1年だった。学校での勉強と外での勉強。たくさんの映画を観て本を読んだ。映画の考察やレビューもいろいろと書いた。以前言われたことがある。「君の文章は上手だと思うが、誰にでも書けるんだよ。」「それは読む価値がある記事なのか?」私の書いた映画に関する感想やレビューは、丁度よく賢しらな言葉でそれなりに小綺麗にまとめられた、全く読む価値に値しないものだったと今は思っている。決定的に欠けていたのは映画の歴史や技法に関する知識の欠陥もあるが、それ以上に主観的な視線だ。その映画を自分のものとして観ていなかったし、好きな理由も明確でなかった。

 

アメリカで11月に『Can You Ever Forgive Me?』という、まだ日本で公開されるか未定の映画を観た。これはセレブ達のインタビューや伝記を書いていた女性作家、リー・イスラエルの自伝に基づく映画で、彼女はセレブ達の手紙を捏造し売りさばくという罪を犯した。彼女はセレブ達に会ったこと話したことがあるからその手紙をそれらしく書くことができるわけで、加えて捏造することに罪悪感をさほど感じていないのだ。なぜなら彼女はその他人を偽って書いていることを“自分の作品を書いている”ように感じているから。もちろん途中で悪事はばれて逮捕され、騒動が終わってイスラエルはやっと自らの本を書くことができたというわけだ。いくらお金になる、それらしい文章を書くことができると言ったって、それは“自分自身の言葉ではない”誰かの人生と経験、言葉を借りて振る舞っている文章にすぎない。そんな文章がどれだけ転がっていることだろう。無自覚にも発信されていることだろう。それは私も含めて。お金や人望、社会的地位のために偽って偽って書き続けることは芸術への冒涜であるし、いくら“お上手”な文章が書けたところで作品なんて言葉にかすりもしない。また書くことだけではなく、人間は自分が主観的に見たこと、体験したこと意外に本物の意味をもたせて発言すること、それを語ることはそうそうできるものではないということだ。だってあちこちに転がる意見やイデオロギーをかいつまんで推測しているだけにすぎないのだから。

 

日本は激動の時代にあると思う。自分を含む私たち若い世代は、多くのことに気が付かぬまま、気づこうとしないまま、沈黙は発言と同じ力を持つことを理解しないまま、20歳を超えて過ごしてきてしまった。自分の国が知っている国でなくなってゆくのをアメリカから何とも言えない心持ちで見ていた。今年は約4作ほどの小説や戯曲を書いたが、出来上がって読む頃にはほとんど死んでいた。外で急速に流れてゆくもの、自分の内側で変わってゆくもの、書きたいと思っても、あまりにも多くのことがあっという間に頭と指をすり抜けてゆき、私の意気込みは次々不毛なものとなってしまった。だけれど、果たして自分は、そのたくさんの物事を、自分のこととして考えているのだろうか。考えていないならばもし書けたとしても、言葉と威勢ばかり肥大した、意味のないからっぽのものなのではないか。本物の意味を持って、悪書とならないものを作るためには、膨大な時間がかかり、経験を必要とするだろう。全く先の見えない中をまっすぐに進んで行くのは時折怖くなるけれど、焦燥感を捨てることができたこと、それはこの1年で自分の成長かと思っている。

 

映画という大きな存在に対して考えを巡らせた一年でもあった。ゴダールは彼の映画史の中でいう。「映画は人間の欲望に叶うように置き換えられた世界だ。映画は娯楽産業でも情報産業でもなく死と性に憑かれた化粧品産業、仮面の産業なのだ。映画は物語を語る、映画は歴史を変えて信じろという。」ヌーヴェルバーグの旗手たちが集ったカイエ・デュ・シネマの創設者アンドレ・バザンは「芸術は民衆を解放する手段だ」と語る。映画は、虚構を通じて、現実と対峙させる手段だ。社会でもいい、個人の問題でもいい、芸術家が作った、時の止まった世界を通して、動き続けるこの現実の世界と向き合う手段だ。映画の中の人物たちの目線と観客である私たちの目線が重なり、新たな出発地が生まれることがある。虚構の中に自分の現実を見つける瞬間がある。第七芸術である映画を今、そんな力強いものだと信じている。だから私もこれから作りたい。いくら時間がかかっても良い。

 

長くなったが最後に記録として。今年一番観た映画はヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』だった。バックミラー越し、マジックミラー越しに愛する者を見つめ、最後は密着することが叶わないまま1人また旅立つ男の物語。アメリカから日本、液晶画面越しに相手を見つめ、沈むほど声を聞こうとし、自分にかかった靄越しに見つめることもあり、これからカメラのレンズ越しに相手を見ることもあるだろう。女として、映画製作者を目指す者として、ものを書く者として、場合により異なる自我で見つめることがあるだろう。だが映画と違い私は密着することも今は叶う、ならそんなことは全て忘れて、今あるその瞬間に体を全て預けることの愛おしさ、それも最も幸福なことだと感じた一年だった。その時に感じる心が、映画だろうが戯曲だろうが小説だろうが何だっていい、本物の言葉が詰まった作品を作るエネルギーともなるだろうと思った。