Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

【日記】外に出てアイデンティティに出会う

毎日少しずつ緊張しながら過ごしている。

まだ慣れ親しんでいる環境ではないから、生活しているだけで留学生活は勉強になる。高校時代に勉強した内容をもう1度英語で勉強するのも、日本とは全く違うエッセイの書き方を勉強するのも、もう分かっているはずのことを角度(言語)を変えてまた学ぶというのはとても面白い経験だと思っている。でも外からやってくる刺激や学ぶことが多い中でも、日本と同じように自主的な勉強、映画を観たり本を読んだり...そんなことも大事だと思うので、気を抜かないようにしようと少しピリッとしながら留学生活2ヶ月目を送っている。

 

 

f:id:roserosemoeka:20180323191838j:plain

 

留学にやってきてから、いろんなことを実感した。

頭で分かっていたこと、分かっていたことを肌で感じることが多い。

例えば「いろんな人がいる」ということ。

人それぞれ違うのは当たり前だしそれは日本でも思っていたことだけれど、アメリカ、私がいるロサンゼルスは特にたくさんの人がいる。みんなアメリカ人だけれど、白人、黒人、ラテン系、アジア系...すごく単純な言葉だが、本当にいろんな人がいるのだ。同じラテン系で集まっている人たち、黒人だけで集まっている人たち、白人とアジア系のグループ。アジア系に関しては本当に少ない。うぬぼれじゃなくたまに学校や近辺で「あの子は何人だろう?」という視線を感じるぐらい、日本人はちょっぴり珍しい存在、であるのかもしれない。(私の住んでいる付近では。)

そして「いろんな考え方がある」ということもそうだ。

 

まだ私は黒人のよく話す友達はいないけれど、数人アジア系、メキシコ系、白人の友達ができた。私の行っている学校は留学生ももともと少ない上、日本人もほとんどいない。みんな私が初めての日本人の友達だという。好奇心で「日本や日本人に対してどんなイメージを持っていた?」ということを質問したら、みんな答えてくれた。

 

「人が本当に多くて、便利で、ファッションがクール」

「みんなシャイで礼儀正しいイメージ。女の子が可愛い!笑」

「アニメが大好きだから早く日本に行きたい(本当にドラゴンボールのTシャツやストラップを持っている男の子がいっぱいいる」

「俺はイメージを持ったことがない。だって確かに大多数はこういう人が多い...というのはあるかもしれないけれど、結局は個人個人みんな違うから。それはどこの国でも一緒だと思うから、あまりこう!っていうイメージはないなあ」

 

後最近、メキシコ系の男の子にこう質問した。それは彼が私に映画『ブラッド・イン・ブラッド・アウト』をおすすめしてくれて、それを観た後のこと。

 

 

f:id:roserosemoeka:20180323191917p:plain

 

この映画はメキシコ系アメリカ人3人の青年が少しずつ違ってゆくそれぞれの人生を生きる...という熱気がほとばしるギャング映画なのだが、その映画の彼らの自我は“アメリカ人”ではなくずっと“メキシコ人”だった。それで思わずその友達に「私はずっと日本で日本人にかこまれて育ったから、日本人であるということについて考えたことがなかった。あなたはご両親はメキシコ出身、あなたはアメリカでずっと育っているけれど、あなたのアイデンティティはメキシコ人なのか」と聞いてみた。答えはやはり「YES」だった。

 

「僕はヒスパニックのカルチャーが大好きだし、自分のことはもちろんメキシコ人だと思っている」そしてこう続けた。「僕は白人のことがあまり好きになれない。彼らは利己主義的に見える。自分がどう思おうと、大多数が良いということにはYES。大多数にどう見られるかということを考えて振舞っているように見えるんだ」

「君は日本で育ってきたから僕らに対しても誰に対してもフラットな目を持っていると思うし、それは悪いことじゃない。でもすごい複雑なんだよ。長い歴史があるから」

 

もちろん彼のいうようにすべての白人の人が利己主義的だなんて、そんなことは無い。でも彼が、彼の家族が今までアメリカでどのように過ごしてきたか、メキシコ系としてどのように接せられたことがあるか私は知らない。ニュースや記事で読む現在の移民についての問題やトランプ政権のこと、本当に大きな中の一部分しか。

 

このように様々な人種の人から様々な考えを聞く毎日、どの意見ももちろん興味深く感じる。なぜなら日本では聞けなかったことだから。それでももちろん彼らのどの意見、どの概念についての考え方も正しいというわけでは無い。 自分の信条や誠実であるというものに照らし合わせて自分の中に落とすことが大切だ。「この人はこういう発言をしたから自分とは合わないわ」「差別的な人なのね」と割りきらず、十分に意見を聞いた上で。ここは理解できるけれど同意はできないだとか、その考えはカルチャーから影響を受けているものなのかだとか、様々なアイデンティティを持つ人々が集まって「人間関係は難しい」というのもしっくりと実感したような気がする。

 

留学にきてから「誠実であること」について以前よりも考える。私は22歳女性の映画好きだが、日本人だからだ。私の意見は映画好きの意見でもあり、女の意見でもあり、そして日本人の意見でもある。私の言葉は「Moekaが言ったこと」としても受け取られるだろうが、「日本人の言ったこと」としてももちろん受け取られるだろうと思う。「日本人らしさ」とは何だろうか。本当の武士道ってなんだろう?留学前に九鬼周造の「いきの構造」を読んだけれど、読んだだけではどの国の言葉でも当てはまる単語が無いと言われている“粋”を実践できているわけではない。

ただ今海外で「人間として誠実な行動」をとるということは(当たり前のすべきことだろうが)自分の国にとって良いことだと、そう強く実感している。

 

f:id:roserosemoeka:20180323191934j:plain

 

まとまらないでごちゃごちゃ書いたけれど結局“肌で感じること”というのは素晴らしい体験だ。そして自分の場所を離れたところで自分のアイデンティティを発見するというのも。ちなみに『レディ・バード』はそういう映画だったよ!!

 

【考察】『The Beguiled/ビガイルド』がなぜ今リメイクされたかについて考える

The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ日本で観ることができなかったので、アメリカでレンタルをして観た。

f:id:roserosemoeka:20180303140826j:plain

雑な感想をいうと、美しかった。笑 ソフィア・コッポラが映し出す花嫁のベールで包まれたような繊細な世界は、甘美な中に女のしたたかさが見え隠れしている気がして見入ってしまう。女の子が彼女の作品を好きな理由はそのお洒落な世界観ももちろんだけれど、成長していく中で感じてきた甘い気持ちや毒っ気がある気持ちが映像になって意識に入り込んできていて、無意識に懐かしさを感じているところもある気がする。

f:id:roserosemoeka:20180303140845j:plain

『ビガイルド』はクリント・イーストウッドが主演を務めた『白い肌の異常な夜』のリメイク。なぜこのタイミングでリメイクされたのかと考えると、このサスペンスは今の時代にぴったりだと思う。作風は全然違うけれどスリー・ビルボード』や『アイ・トーニャ』と同様のテーマを描いているように感じる。それは「人間はその人が完全に善か悪かでは割り切れない」というもの。

f:id:roserosemoeka:20180303140905j:plain

女性ばかりの清楚な寄宿学校に紛れ込んだマクバニー(コリン・ファレル)は最初は女性陣にいい顔しまくり。最後の方にはとある事件があって、暴力で女性たちを怖がらせてしまう。女性たちはいきなりやってきた男性に興味津々。色仕掛けやらなんやら個人個人の方法で彼に接近、キルスティン・ダンスト演じるエドウィーナは本当にマクバニーを愛するようになる。

しかし結末ではマクバニーは毒キノコを食べさせられ殺されてしまう。つまりマクバニーは女性たちを翻弄した加害者でもありながら殺された被害者でもあり、女性たちはマクバニーに翻弄され怖がらせられた被害者でもあるがマクバニーを葬った加害者でもあるのだ。被害者は加害者でもあり、加害者は被害者である、と言うことを描いている作品だと思う。

f:id:roserosemoeka:20180303140927j:plain

今ハリウッドでは『Me Too』運動や『Times up』など、男性に性的暴力を振るわれた女性たちが声をあげたり、男性優位の社会を変えようという声が多く上がっている。しかしフランスの女優カトリーヌ・ドヌーヴブリジット・バルドーらはこの運動に対し『セクハラはもちろん犯罪だが、男性が女性を口説くのは決して悪いことではないし、女性は男性より弱いということもないがシチュエーションによってはそれを選ぶ権利だってある』といったような文書を出している(ちょっと言葉が足りなくなっていますがごめんなさい...)

ムーブメントを見ているとあまりにも多くの俳優がやれあの人もDV男だ、あいつもセクハラ野郎だと言われていて、「これは本当に真実なのか?」と疑いたくなってしまうようなものもある。本当に中にはもしかしたら、売名がしたくてちょっとのことを大きくでっち上げている...なんていうケースもあるかもしれない。

f:id:roserosemoeka:20180303140944j:plain

だから今まで力を振りかざしていた者、加害者であった者たちを必要以上に罵倒し、貶めれば今まで被害者であった者が加害者になるかもしれない。立場が変わっただけで、起こっている争いは集結しないかもしれない。『ビガイルド』のシチュエーションは今の映画業界、社会にフィットしているからこのタイミングでリメイクされたのではないか、と思っている。

 

Me Too運動だけじゃなく、今は世界の美術館から「小児性愛を美化している」なんて言って美術品を取り外そう、なんていう運動も起こっている。「これもダメ」「あれもダメ」あまりにも清浄化された社会は少しのことも異常になり、それまで以上の狂気をうむのではないか...『ビガイルド』の寄宿学校のように。そんなことを思ったアメリカ留学生活2ヶ月目でした。

 

 

【日記】アメリカ留学1ヶ月目 : 友達ができました

アメリカに来て一ヶ月と10日ほどすぎた。いろいろ観光に行った方がいいのかとも思ったけれどどうしても興味がわかなくて(笑)学校が始まるまではいつも通り映画を家で観たり映画館に行ったり、映画のロケ地をちょっとだけ回ってみたりもした。短い小説も2編ほど書いた。詩も書いた。今は書きかけの小説がまた2編。

f:id:roserosemoeka:20180218220430j:plain

やっと学校も2月に始まって、アメリカ人の友達もできた。アジア系の友達、ヒスパニック系のお友達。彼女たちは学校で所属している“アート・クラブ”に私を入れてくれた。とても嬉しかった。そのクラブでは皆が思い思いに絵を描いたり、ギターを弾いたり、時には皆でZINEを作ったりするのだそうだ。魅力的だと思う。私は絵が上手なわけでも楽器が得意なわけでもない(ピアノは習っていたけれど、指が短すぎて一オクターブ届かなかったwww)けれど、文章は書くことは好きだから、これから英語でも何かしら詩やら小説やらを書いてクラブに貢献できればと思っている。

f:id:roserosemoeka:20180218220447j:plain

 

先日彼女たちと美術館に出かけた。Getty museumというミケランジェロやモネの作品がなんと無料で見ることができる綺麗な美術館。帰りに1人女の子の家にみんなでより、お茶を飲んで話をした。その中でその家の女の子が投げかけてくれた質問がとても興味深かった。

「Moeka、あなたを確立させるのに作用した、あなたに影響を与えた人物は?」

いざ聞かれてみるとぱっとすぐに言葉が(英語がまだ達者じゃないというのもあるけれど)出てこなかったけれど、なんとか返事をした。

アレハンドロ・ホドロフスキーはその1人。彼は1番美しい芸術は詩と言ってた。彼の作品はどれもサイケデリックだけれど、美術にも哲学にも造詣が深い人。ホドロフスキーの考え方は影響を与えてる」

キューブリックは「芸術家は芸術にだけ責任を持てばいい」と言ってた。私もその通りだと思う。あとはジム・ジャームッシュのような作風は好きで、私が目指したいものに近いかもしれない」

f:id:roserosemoeka:20180218220531j:plain

かなりぐちゃぐちゃに喋ったけれど、皆真剣に聞いてくれた。その女の子もジム・ジャームッシュは影響を受けた芸術家だそうだ。なぜ皆はアートが好きなの?勉強したいと思ってるの?と聞くと、このように答えてくれた。

 

「何かを描いたり作ることは私を心の底から満足させてくれるから」

「僕は詩を書いてる。生きることは詩に似てる。詩はその瞬間を永遠に止めておいてくれるものだから美しいと思う。将来あちこちを旅してちょっとずつ詩を書きながら生きていけたら最高」

f:id:roserosemoeka:20180218220512j:plain

今まで同世代で、何か文章を書いたり絵を描いたりという友達はいなかったから、このような話ができることが嬉しいのはもちろんのこと。常にノートやギターを持ち歩いて自己表現を自由にする彼女、彼らを見ているととても眩しいし美しい衝動だなと改めて思う。最近仲良くなった彼らは自分が生きることのわらじに、もう“詩”や“絵”がナチュラルに組み込まれていることを受け止めているのだろう。だから自由で、奔放に創作ができているのだろう。

 

言葉がまだ十分でない今、それでもコミュニケーションを取り自分のことを理解してもらうために、まず自分が自分のことをより理解し、素直な気持ちを抱き、好きなものに対して確立した意見を持つこと。何よりもそれが必要なのではないかと感じた学校二週目だった。短いけど日記終わり。

 

【感想】『君の名前で僕を呼んで』なぜここまで美しい映画なのかについて考えた

 

「芸術とは、人間が心の中に高まる感情を最高最善のものへ移行させる人間活動である」ートルストイ

 

アメリカで一足早く『君の名前で僕を呼んで(Call me by your name)』を観た。

f:id:roserosemoeka:20180207102222j:plain

良いところが書ききれないほどある。まず、映像の美しさ。彫刻のような主人公2人の艶めく肉体。ピアノの音色。同性同士の恋愛だが、そのことを社会問題などとはからめずに主人公の初恋、成長として描いているところも魅力だ。(主人公エリオの両親はオリヴァートの恋愛に気づいていたようだが、彼の気持ちに寄り添う姿勢を見せていた)

 

とても美しい映画なのだが、「ここがこうだから『君の名前で僕は呼んで』はすごい映画だ!」と、そう言い切れないところがある。いや、おそらく観る人達それぞれの内側深くに潜り込んできて、この映画に無意識に身を委ねてしまうところがあるのだと思う。それでふと、冒頭に書いたトルストイの言葉を思い出した。

 

f:id:roserosemoeka:20180207102926j:plain

 

『Call me by your name』の原作者、アンドレ・アシマンはこの物語をあくまで自分の記録として執筆したそうなのだ。だからこの物語はとても個人的な感情が込められた作品ということだ。夏の初恋、愛を覚えることの喜びと痛み、自我の目覚め。その心の中に高まった感情が言葉となり、そして美しい映像とともに映画になった。世の中のためでもなく、ただ自分が愛した人へ捧げるラブレターとして、自分の尊ぶべき記憶を変換し永遠にする手段として。そうやってできた作品は本当に美しいものだと思う。そんな芸術の極致に達していると言えるからこそ、『君の名前で僕を呼んで』はここまで心を揺さぶるのではないかと。

 

f:id:roserosemoeka:20180207103608j:plain

君の名前で僕を呼んで、僕の名前で君を呼ぶ。自分がいて、自分の中にあなたの存在を見つける。あなたの中に自分の存在を見つめる。名前を呼び合うごとに互いが互いの中に溶け込み一つになっていく。ガラスケースに入れて飾っておきたいぐらいになんて繊細で、官能的な言葉なんだろう。

エリオとオリヴァーのように、何もいらずとも精神的に惹かれ合う恋愛は儚くとも他には代えられない美しい輝きがある。1人の芸術家の記憶がたった1つの美しい物語へ、映画へと移行された。そんな瞬間を観ることができたのが『君の名前で僕を呼んで』だった。

 

 

f:id:roserosemoeka:20180207104335j:plain

 

余談だけれど、友人と「なんで夏の恋はあんなに短く、それでも少し他の季節とは変わった恋愛として捉えられるのだろう?」と話をした。「暑いから」なんじゃないかという話になった。単純だが、あながち間違っていないのではないかと思っている。笑 あまりにも暑いと複雑な考えもやっぱりできなくなるし、衝動が先走ってしまうことが多い気がするのだ。冬など寒い時期はどうしても閉じこもったりして、内省的になりがちだけれど。エリオを演じたティモシー・シャラメくんを見て、夏に潜む魔物はこんな美少年なのではないかと、思ったりもした。

 

【ネタバレ考察】映画『シェイプ・オブ・ウォーター』愛の変遷のあり方について考える

日本だと2018年3月1日に公開だけれど、アメリカで一足先に早く観ることができた。ギレルモ・デル・トロ監督による最新作シェイプ・オブ・ウォーター

f:id:roserosemoeka:20180127123158p:plain

デル・トロ・監督の作品は以前から大大大好きで、今回もずっと楽しみにしていた。「中身が大事」という割に結局イケメンとか美女に戻ってんじゃねえかよ!という某いろんな作品へのアンチテーゼとか、社会の中の弱者達が声をあげる話でもあったり、芸術家が愛によって自身の作品を完成させていくお話でもあったり。でも『シェイプ・オブ・ウォーター』を観て余韻もちょっとひと段落した今、「どんな作品だった?」と聞かれれば「愛っていう概念がなんで尊くて強いものって言われてるのかわかった気がする」と言う言葉が真っ先に出てくると思う。

f:id:roserosemoeka:20180127123731j:plain

なぜタイトルはシェイプ・オブ・ウォーター』、「水の形」なのか?これについてデル・トロ監督が「愛と水に形はないもの。どこにでも流れ込んでいけるものだ。この世で最も強い力が愛と水なんだ」とおっしゃっているインタビューの断片を目にした。(ちらっと見ただけでして、引用元を見失ってしまってごめんなさい😭)

 

(この記事は『シェイプ・オブ・ウォーター』のネタバレを含みます。)

 

確かに愛情と水の形をかけと言われてもかけっこないし、それに数えられない。そしてどこにでも流れ込んでいけるものだと思う。でも「枠組みを作れば、そこに流れ込んでいく」と言うことに気がつかされた。水も愛情も。一人愛する人がいれば、その人にありったけの愛情を注ぎ込む。水路を作り、そこに少しずつ流していけば、徐々に溜まっていく。

このことを思うとシェイプ・オブ・ウォーター』は愛情の変遷とあり方について、水になぞらえて美しくかつ分かりやすく描かれていたのではないかと思う。

f:id:roserosemoeka:20180127123219j:plain

最初ヒロインと半魚人が出会いたてのころ。ダグ・ジョーンズ扮する半魚人は檻のような狭い水槽に閉じ込められている。鎖にも繋がれているし、もちろんヒロインと体で触れ合うことができない。

ヒロインが半魚人を救出してからは、家の浴槽に移る。ちょっと狭いけれどもちろん研究所の水槽よりは居心地が良い。そしてそのあと、二人は蛇口をいっぱいにひねって風呂場全体を水だらけにする。水の体積が大きくなるのだ。そして最後の最後、半魚人とヒロインは二人でダムの水の中に(あれはダムだったよな...)飛び込んでいく。水は小さな枠組みに溜まり始め大きな枠組みへ変化し、枠をつきやぶり、最後の最後は水の中で二人で生きていく選択をする

f:id:roserosemoeka:20180127123302j:plain

あの美しいラストシーンを見て、「愛に生きる」のではなく、「愛の中で生きる」ということが尊いことなのだなと思った。だから水中で二人が抱き合いゆっくりと沈んでいく姿は、ここ最近観た恋愛映画の中でもっともと言っても過言ではないぐらい美しいシーンだった。「愛とともに生きる」と「愛の中で生きる」は、似ているようで違うことだとも思うし...

f:id:roserosemoeka:20180127123318j:plain

ダークファンタジーが好きな方はもちろんのこと、社会的メッセージが込められた今観るべき映画でもあると思うし、人間にとって大きな範囲を占める愛という概念を綴ったたくさんの人たちに触れて欲しい作品と思う。(ネタバレしちゃってごめんなさい、書きたくて...😂)アカデミー賞の行方もきになるところだけれど、もっと人それぞれの個人的な感情に優しく寄り添ってくれるものであると思うから。

 

 

ロサンゼルスの映画館記録⑵ / チェーンとミニシアターご紹介

アメリカに来て10日が経ちました!最初の一週間はすごく長く感じたけれど今週はあっという間に感じます。私がいくコミュニティーカレッジのクラスが始まるのは2月!それまですごく暇なんです...笑 昨日は留学生のスクールツアー、今日はプレイスメントテスト(クラス分けテスト)を受けてきました。明日はオリエンテーション!それが終わったら次は何をしよう。笑

 

新しい土地にくると歩いているだけでも目新しいものばかりなので映画欲も前よりおさまるかな?と思ったのですがやはり健在で、来てから3回劇場に行ってきました!笑 前回の映画館レビューの記事は、こちらです。

 

今回は行ってきた、発見した映画館第二弾ということで書きたいと思います!

f:id:roserosemoeka:20180118203230j:plain

 

1.Laemmle's Town Center 5

f:id:roserosemoeka:20180118200718j:plain

 

『Call me by your name(君の名前で僕を呼んで)』を観たのは日本食レストランなども入っている小さめのショッピングモールに入っている“Laemmle's Town Center 5”。日本でいう武蔵野映画館のような、ミニシアターの雰囲気漂うところでした。お値段は大人10ドル。アメリカの映画館は(場所によるかと思いますが)昼間に観に行くと日本に比べてかなり安いです。まだ18ドルを払うところは見つけていません!

 

f:id:roserosemoeka:20180118195849j:plain

チケットを購入して中に入ると、ポップコーンに自分で振りかけるパウダーが設置してありました。笑 

f:id:roserosemoeka:20180118195958j:plain

アメリカは何でもサイズが大きいとは思っていたのですが、改めてびっくり。日本のLサイズの大きさがこちらではSサイズなんです。Lで頼んだらどんなサイズが出てくるやら。笑 ここの映画館はスクリーン数も座席数も少なく、席は自由席でした。のんびりこじんまりとした空間で『Call me by your name』観ることができてよかった...

サンタモニカのようなダウンタウンからは少し遠いですが、これからも定期的に利用したいところです。

 

2.AMC theater Santa Monica 7

 

サンタモニカでジュマンジ : ウェルカム・トゥー・ザ・ジャングル』を観たのは“AMC theater Santa Monica 7”。この“AMC theater”はサンディエゴなど他のところにも店舗を展開するチェーン店のようです。

f:id:roserosemoeka:20180118200912j:plain

ダウンタウンの街並みやお店はどこを切り取っても可愛いのですが、映画館のエントランスもこれまたキュート!お値段は大人で7ドルと30セントほど。安い...

この映画館は飲み物を買ったらそのサイズの紙カップを渡され、ドリンクバーのように好きな者を入れていいよ!という仕組みでした。もちろんサイズはSでも超大きめ。笑 コカコーラにファンタにスプライトの種類もたくさんあって面白かったです。

 

f:id:roserosemoeka:20180118201133j:plain

アメリカの映画館で好きなところは、何より座席も通路もゆったりしているところ!映画館あるあるな前を通る時に「ちょっと失礼します...あっ荷物蹴っちゃった、ごめんなさい」みたいなのは絶対ありません。この通路はスーツケースもおけるんじゃないかぐらいの広々っぷり。しかもリクライニング、足の部分も上に上がるので思いっきりくつろげるんです。

ジュマンジ』は5分に一回ぐらい、みんな手を叩いたり思い思いの声をあげたり爆笑の嵐。館内が一体となっている楽しい空間でした。アメリカで観ることができてよかったかも!

 

3.Nuart theatre 

 

まだここに映画を観に行ってはいないのですが、近いうちに絶対中に入ろうと決めているのがサンタモニカ、ソウテルに位置する“Nuart Thertre”。今のところ発見した映画館の中で、一番可愛いところです。

f:id:roserosemoeka:20180118201833j:plain

この『La La Land』に出てきそうな、もしくはポピーランドにありそうな60sな外観!ここは『LADY BIRD』をどうやら激推ししている模様。(ちなみにエントランス外には灰皿も設置。)

f:id:roserosemoeka:20180118202011j:plain

f:id:roserosemoeka:20180118202009j:plain

金曜の夜は『2001宇宙の旅』や『時計仕掛けのオレンジ』などのリバイバル上映、土曜の夜は『ロッキー・ホラー・ショー』を上映しているようなのでいつか行ってみたい!(ちょっと私が住んでいると事からは遠いんです...)

 

ロサンゼルス、特にサンタモニカのダウンタウン付近は本当に映画館がたくさんあります。さすがハリウッドの街!なんせ広くておしゃれな素敵なところを探すのは時間がかかりそうですが(笑)アメリカにご旅行、留学の際に映画館に行く時、参考にして頂けるようにいろいろな場所をご紹介できたらと思います!

 

 

【日記】勉強し続けた先に何があるのか、考える

私の親しい人が最近日記を買ったらしい。何度も日記を始めてみようと決意してノートまで買ったことはあるものの、私は恥ずかしながら続いたことがない。このブログもちょっと「誰かに見られている」ということを意識しているから続けられているけれど、実は今まではずっと頓挫している。笑

 

その日にあったことを書く日記もいいかもしれないが、何よりその時に考えていたこと思っていたことを後から「なぜそれを考えていたのか?」と考えることが、そして「こんなことを思っていたのか」と気づくことが、その時心にふと残った言葉や出来事が後から自分の助けになることもあるかもしれないので、今日は最近ぼんやりと考えていることを記録してみる。

f:id:roserosemoeka:20180114214035j:plain

 

アメリカにきて一週間。私は昨年一ヶ月ほどアメリカに滞在したことがあったので、あまりものすごい驚きや街の使い方...スーパーの雰囲気やバスへの乗り方などで驚くことは無い。映画館を回ったりスリフトショップを探してみたりレンタルDVDショップを探したり、日本とそこまで変わらないルーティーンを送っている。学校が2月まで始まらないから遊ぶ友達もいないし、いわばめちゃくちゃ暇な状況。ひとりでいろんなことを考えている。映画のこと、これからのこと、恋愛のこと、今までしていた仕事のこと、友達のこと。

f:id:roserosemoeka:20180114214057j:plain

 

これから大好きな映画のことを勉強するわけだからこんなことを今考えるべきで無いのも、口に出したり文字にしてしまうのも正しいわけでは無い、ということはわかっている。でもこの一週間“何かに詳しくなっても、自分よりそのことに関して詳しい人はいっぱいいる”“勉強だけでは自分の好きなことでも満たされないこともある”ということをよく考える。知識をどんどん集めるのは楽しく幸せだし、知的好奇心や欲があるのはとてもいいことだと思う。それでも何かに還元できないと意味が無いのでは、と思うことがある。もちろんただただ学ぶだけでは社会的な成功や仕事とは結びついていかないだろうし。(それが自分が本当に望んでいることかは、少し置いといて。)

 

研究し続けることに幸せを見出すのか。学んだことを世の中に出して、自分と同じことが好きな人、興味がある人、その分野に携わる人たちと共有していくのか。 今おそらく目の前には目に見えない箱がたくさんあり、それを開けても開けてもその箱の中にまた別の箱があり、それを開ききるまでにはどのくらいの時間がかかるのだろうとも考える。生きているうちに自分が知りたい全てのことを知ることができないとしたら、どこかで別のことに幸せを見つけないといけないのではないか...

f:id:roserosemoeka:20180114214113j:plain

自分は“商業映画”のようなものにあまり興味が持てない。娯楽映画で好きな作品もあるけれど、何だかんだ興味が無い。ウェス・アンダーソンティム・バートンアレハンドロ・ホドロフスキーギレルモ・デル・トロ。自分のネガティブな経験もコンプレックスも、一つの作品として芸術に昇華させる。“作りたい”いや、“作らずにはいられない”というような監督たちの映画にとても惹かれる。自分も何か思いや考えを、おとぎ話のように作れることができたらどんなにいいだろう?でもリアルをそのままに書くことが一番いいと思う時も、いつかくるかもしれない。その時を探すには今は勉強しなければいけないのだけれど。幸せであるための方法を探すのは、考え続けるのは、必要であるけれど難しい。だから人とのつながりが大切であるのかも。自分ではそこまでしか進めなかったことも、誰かの言葉や手を借りて前に進めることがあるから。

 

f:id:roserosemoeka:20180114214132j:plain

 

あ、あともう一つメモとして。もっと日本語が上手になりたい。笑 きっとこれからどんな言語を習得しても、22年間日本に住んでいたから一番うまく使えるのは日本語なはず。海外にいるからこそ日本人らしく生きれるように意識を持つこと、それは今年の目標の一つにしよう。