Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

消えないで“映画を観る経験”、劇場文化について考える

先日ゴダールの『勝手にしやがれ』『はなればなれに』をロサンゼルスの映画館で観てきた。この劇場では約1ヶ月、土曜日にゴダール作品のリバイバル上映をするイベントを開催するらしい。

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行ってきたのはAero Theatre というサンタモニカ付近に位置するこじんまりとした映画館。私が行った日はこの2本上映で、値段は12ドル。2本観ることができるのを思うとずいぶんお手頃なのではないかと思う。客層はというとご年配の方の方が多いように感じられたが、私と同じくらいの年頃(20代)中には10代と思える男の子のグループもいて、映画が終われば皆で拍手をして、とても楽しい空間だった。何よりもゴダール作品を映画館で鑑賞するという経験が何よりも嬉しかった。

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アメリカは日本と比べ、リバイバル上映を行う映画館が多いように感じられる。小さな映画館が毎週金曜や土曜日に、イベントや“フライデー・ホラーショー”なんて題して名作の上映をしている。今ではキューブリックの『2001年宇宙の旅』上映から50周年と言うことで、キューブリック作品のリバイバルを行っているところも多い。私はこうした映画館でのリバイバル上映は映画を愛する人たちにとって素晴らしいことだと思う。映画を観る体験が簡単に、手軽になる一方で劇場文化や従来の映画の観方が少しずつ失われていくことについて考える。

“劇場文化を衰退させる”と聞くと思いつくのはやはりNetflixだ。自社でも製作を行い、観客にとってみればどこでも映画を簡単に手軽に観ることができるNetflixのサービスは便利なものに間違いない。しかし劇場公開とオンラインでの配信を同タイミングで行えば人に邪魔されず鑑賞したいという人は間違いなくネットで観るだろうし、また近くに劇場がない人も自分の家で観るだろう。かつては多くあった名画座はレンタルビデオ屋の増加によって少しずつ姿を消し、現在はネットサービスによって映画館自体が廃れていくように思える。個人的な意見として劇場文化が損なわれていくことは寂しいと思うし、“映画を観る”という概念が変わっていくような気がして、何だか居心地が悪い。これは“古い”意見だろうか、もちろん私も家でDVDをレンタルして観ることも多いが、映画は映画館で観ることが何よりも1番観客にとって、そして芸術にとって大切なことに思える。なぜなら観客はどんな映画であろうと劇場に詰め込まれれば、その作品に最初から最後まで集中して向き合わなければならないからだ。

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ネットで、DVDで映画を観るのは現代人にとってとても便利だ。劇場なら時間を合わせなければいけないが家での観賞はいつでもできる。それに、いつでも止めることができる。少し家事をしたくなったら、友人から連絡がきたら、飽きたらーーこれは果たして“映画という芸術全体”を思うと、良いことなのだろうか。簡単に作品の鑑賞を止められるということは、その映画の意味について、なぜ良かったのか、なぜつまらないと思ったのか考える習慣を薄めてしまうように思う。それは映画の作り手にとっても喜ばしくないことであると思う。観客が受け取らなかったら、良い作品は良いと、失敗作は失敗だと受け取らなければ、芸術の発展は上向きになると私は考え難い。観客にとってもその映画が自分にとってどういう効果や影響をもたらしたか考えることは自身にとって素晴らしいことだと思う。大勢の人と映画を劇場で体験し、話し合い、思考することは、映画への興味を高め、結果として芸術そのものの発展につながるのではないかと考える。

映画の始まりは、フランスのリュミュエール兄弟が発明した“シネマトグラフ”だ。兄弟は大勢の人が同じ映像を観、同じ体験をすることを目的に大型スクリーンで上映するという“映画館”を作り上げた。エジソンは逆に、映像を小さな箱に閉じ込めた“キネトスコープ”を作った。今はネットという小さな箱で映像を観るというエジソン式の“映画”が盛り返していると言えると思う。

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別に誰もかれもが映画を定期的に観なくてもいい。でも1本でも良い映画に出会い、それがその人にとって欠けていた何かを埋めるものであった時。この作品のストーリーははまらなかったけれど、衣装にしびれたと思った時。何がいいのか言葉にできないけれど、自分にとって特別だと感じた時。間違いなく素晴らしい体験であるに違いない。そしてそれはやはり真剣に向き合わなければ、なかなか得ることのできない体験でもあると思う。便利な時代、映画が身近な時代、それは良いことだが、もともとの映画体験とは何であるか、芸術と私たちの関係とは何であるか、それについて考えることが大切であると思う。そしてリュミエール兄弟が後世に残した“人々と概念の共有”という文化が受け継がれて欲しいと思う。

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