【ネタバレ】徹底考察『ノクターナル・アニマルズ』なぜ夜行生物なのか?そもそも、○○○○○っていたの?
こんにちは!Moekaです。
トム・フォード監督待望の第二作目
『ノクターナル・アニマルズ』を観てきました。
まず最初に私が観た感想、軽い考察を。そのあとに友達と話し合って(というか疑問点を解決してもらって)出た最終的な考察を書きたいと思います。
『ノクターナル・アニマルズ』別れた夫から小説が送られてきた。これは愛か、復讐なのか...いやちょっと待て。愛とか復讐とかの前に、
そもそも別れた夫って、いるのか?笑
という仮説を立てた考察を書いていきます!(友達に激激感謝...)
(この記事は映画『ノクターナル・アニマルズ』のネタバレを含みます。)
あらすじ
主人公はアートディーラーとして成功を収めているものの、夫との関係がうまくいかない女性、スーザン(エイミー・アダムス)。夫はニューヨークに出張とか言っておきながら、若い女性とイチャイチャしたりしております。ある日そんな彼女のもとに、元夫のエドワード(ジェイク・ギレンホール)から『ノクターナル・アニマルズ』という小説が送られてきます。
その内容とは、妻と娘とともにテキサスを車で移動中の男トニーが途中でチンピラに襲われ、妻と娘はレイプされ殺され、自分だけが生き残ってしまう。トニーは肺がんを患う警官アンディーズ(マイケル・シャノン)の手を借りて、最終的に自らの手で犯人を殺す、というものでした。
小説を読み進めていくうちに、その不穏な空気に魅入られていくスーザン。彼女は昔、小説家として頑張っていたエドワードの才能を信じなかったこと、エドワードの子供を中絶したこと、そして今の夫と密かに不倫していたこと...などを思い出します。最後小説を読み終わったスーザンはエドワードにメールで会う約束を取り付け、高級なレストランをセッティングして向かいますが、エドワードは現れることなく映画は終了...というお話でした。
ま、とりあえず(笑)の考察
ほんとーにとりあえず、笑 観終わって私が考えた考察です。(飛ばして読んでいただいても構いません...笑)
なぜ最後エドワードは現れなかったのか
ここですよね。小説を送りつけといて、最後の最後にはエドワードは現れません。
エドワードの小説は、彼とスーザンが過ごした日々、そしてスーザンが自分にした仕打ち、それによって感じた痛みや悲しみが暴力的な面を持って力強く描かれていました。
・小説の主人公トニーは、自分の知らないところで娘と妻が男たちにレイプされていた=エドワードが知らないところで、妻(スーザン)は他の男と関係を持ち、子供は中絶されていた
・妻をレイプした男(レイ)を自分の手でぶっ殺す=スーザンを取った今の旦那への復讐
・親身になって制裁を手伝って(?)くれる警部補、アンディーズ=スーザンのゲイの兄...?(アンディーズが娘はいるけど妻はいない、あと二人がなかなか距離が近かったこととエドワードもスーザンの兄を気にかけていたことから。ちょっとこれは違うかも)
などなど。スーザンと別れてからの20年間、エドワードは自分の体験した思いをこの作品にぶつけてきたのでしょう。でもエドワードの復讐は小説を送ること、だけではなかった。“最後現れなかった”ことにより、彼は彼なりの復讐を成し遂げたのでしょう。
綺麗な家にキャリア、富。様々なものを手にしてもスーザンは心が空っぽの状態です。眠れぬ夜を過ごす彼女は、バイオレンスな小説がまるで求めていた居場所かのように毎晩読み耽ります。そして、エドワードにしてしまった自分の過ちを悔いる。
つまらないパーティー。「興味がない」という仕事。視聴者にとって“エドワードに会いに行く”という行動は、スーザンにとって初めて有意義な行動のようにも思えます。彼に会いにいくことは彼女にとっての微かな希望だったかもしれません。しかしエドワードは現れない。スーザンを拒絶します。回想シーンで「失ったものはもう二度と戻らないんだ」と自身が言った言葉を体現した形ですね。よって、あのなんとも後味が悪い(と感じる)ラストを持って、エドワードの復讐は幕を閉じた....
って、最初思ったんですけど。笑
この解釈だと、あまりにも不可解な点が多すぎると思うんですよ。
まずいっちばん不自然な部分。それは、現在のエドワード、現れないじゃないですか。それに語っているのって、スーザンだけじゃないですか。
あとこんな部分。
オフィスにて、「別れた夫から小説が届いたの」とスタッフにいうスーザン。「え、夫いたんですか?」全然知らないスタッフ。
ニューヨークに行ったっきり、週末が終わっても戻ってこないイケメン夫。
なぜ“ノクターナル・アニマル(夜行生物)”なのか。
解決しきれない、不自然な疑問点が多いと思うんです。
これから友達の洞察力にめちゃめちゃ助けてもらった結果(まじでありがとう)「やっぱこうなんじゃないか」と思った考察を書きたいと思います。私たちは「これは復讐の物語だ」と思ってしまいますが、それがそもそも違うんではないか。そして、エドワードや今の夫なんて、そもそも存在しないんじゃないか、という話です。この仮説を一つ一つ、説明していきたいと思います。
『ノクターナル・アニマルズ』は結局どういう話なのか
送られてきたとされる小説は、実はスーザンが書いたもの
エドワードから送られてきた小説は、実はスーザンが自分自身で書いたものだった。だから、エドワードも今の夫も、全部彼女の妄想。あの小説を完成させるに当たって、彼女が自分の内面を描き出すに当たって生み出したキャラクターたち。
「でもお母さんとエドワードの話してたんじゃ?」あれも“保守的な両親がいる、自分も合理的な人間に近づいている”というイメージの中だったかもしれない。
まず、エドワードとのやりとりも全てメールですよね。それにスーザンの回想(とされる)シーンと、小説の中でしか出てこない。最後まで実際のエドワードは登場しない。スタッフも昔結婚していたことを知らない。夫もスタッフが消えてから登場する。ニューヨークに行って帰ってこないのも、いないから。
エドワードからメールがくるのも、自分自身で送信しているかもしれないですよね。もちろん、小説も。もしかしたらスーザンは本当に“エドワード”という人がいると自分の中で信じているのかも。“クリエイター”としての、もう一人の自分として。
エドワードたちは、実はスーザンの内面に住んでいるキャラクターだったのではないでしょうか。
“夜行生物”といえば
『ノクターナル・アニマルズ』。夜行性の動物たちという意味深なタイトルですよね。なんでスーザンが“夜行生物”なのでしょうか。ずっと寝ないから?
夜行生物といえば、こちらの生き物を連想されることも多いのではないかと思います。
ちょっとブレードランナーしてしまいましたがフクロウです。笑
“ミネルバのフクロウ”。ミネルバはローマ神話で知恵や洞察力を司る女神様で、フクロウが止まっています。フクロウは夜行性ですから、日が暮れると飛び去っていく。“考えること、悟ること”を人々が起きている時間ではなく、夜にするわけです。スーザンはこのフクロウのように、夜を想い、夜に執筆活動をしていたのではないでしょうか。夜にクリエイティブになれるから、“ノクターナル・アニマル”なのではないでしょうか。
スーザンは回想シーンの中でライターとして奮闘するエドワードに、「自分は創造する力がないの」と何度も言っていましたね。そのたびにエドワードは「自分でストッパーをかけているだけだ」と言っていました。自分のことを信じたい自分と不安にかられる自分、その二人の自分のやりとりをエドワードにさせていたのでは、と思います。
最後の服が緑になったわけ
スーザンは“夜”を象徴するかのように、劇中ずっとモノトーンの服を着ていますよね。しかしラストシーンはグリーンのワンピースに身を包みます。まるで昼間をイメージさせるような、綺麗な緑色でした。
これは彼女の創作活動(=『ノクターナル・アニマルズ』の執筆)がひと段落つき、新たな作品に向かおうとする切り替えの衣装だったのかもしれません。それか、夜を想うことをやめ、昼間の時間帯に創作を励むことを決めたのか...ちょっとここは悩みどころなのですが。
“エドワードなんていなくて、実はこの映画のほとんどがスーザンの空想の世界だった”
仮説ですが、でも結構つじつまが合っている気がするんです。“別れた旦那の復讐劇”という文句についつい“どう復讐するんだ”と入ってしまいますが、実はそうではないのでは、と。『REVENGE』のアートも、彼女は忘れていたぐらいですし... だから美しいアート作品やファッション、愛憎入り混じるロマンスに覆われた“クリエイター”の話、それが『ノクターナル・アニマルズ』なのでは?と思っています。
『シングルマン』とはテイストが全く異なりましたが、あああすごい作品だった...笑