Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

【ネタバレ考察】映画『シェイプ・オブ・ウォーター』愛の変遷のあり方について考える

日本だと2018年3月1日に公開だけれど、アメリカで一足先に早く観ることができた。ギレルモ・デル・トロ監督による最新作シェイプ・オブ・ウォーター

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デル・トロ・監督の作品は以前から大大大好きで、今回もずっと楽しみにしていた。「中身が大事」という割に結局イケメンとか美女に戻ってんじゃねえかよ!という某いろんな作品へのアンチテーゼとか、社会の中の弱者達が声をあげる話でもあったり、芸術家が愛によって自身の作品を完成させていくお話でもあったり。でも『シェイプ・オブ・ウォーター』を観て余韻もちょっとひと段落した今、「どんな作品だった?」と聞かれれば「愛っていう概念がなんで尊くて強いものって言われてるのかわかった気がする」と言う言葉が真っ先に出てくると思う。

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なぜタイトルはシェイプ・オブ・ウォーター』、「水の形」なのか?これについてデル・トロ監督が「愛と水に形はないもの。どこにでも流れ込んでいけるものだ。この世で最も強い力が愛と水なんだ」とおっしゃっているインタビューの断片を目にした。(ちらっと見ただけでして、引用元を見失ってしまってごめんなさい😭)

 

(この記事は『シェイプ・オブ・ウォーター』のネタバレを含みます。)

 

確かに愛情と水の形をかけと言われてもかけっこないし、それに数えられない。そしてどこにでも流れ込んでいけるものだと思う。でも「枠組みを作れば、そこに流れ込んでいく」と言うことに気がつかされた。水も愛情も。一人愛する人がいれば、その人にありったけの愛情を注ぎ込む。水路を作り、そこに少しずつ流していけば、徐々に溜まっていく。

このことを思うとシェイプ・オブ・ウォーター』は愛情の変遷とあり方について、水になぞらえて美しくかつ分かりやすく描かれていたのではないかと思う。

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最初ヒロインと半魚人が出会いたてのころ。ダグ・ジョーンズ扮する半魚人は檻のような狭い水槽に閉じ込められている。鎖にも繋がれているし、もちろんヒロインと体で触れ合うことができない。

ヒロインが半魚人を救出してからは、家の浴槽に移る。ちょっと狭いけれどもちろん研究所の水槽よりは居心地が良い。そしてそのあと、二人は蛇口をいっぱいにひねって風呂場全体を水だらけにする。水の体積が大きくなるのだ。そして最後の最後、半魚人とヒロインは二人でダムの水の中に(あれはダムだったよな...)飛び込んでいく。水は小さな枠組みに溜まり始め大きな枠組みへ変化し、枠をつきやぶり、最後の最後は水の中で二人で生きていく選択をする

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あの美しいラストシーンを見て、「愛に生きる」のではなく、「愛の中で生きる」ということが尊いことなのだなと思った。だから水中で二人が抱き合いゆっくりと沈んでいく姿は、ここ最近観た恋愛映画の中でもっともと言っても過言ではないぐらい美しいシーンだった。「愛とともに生きる」と「愛の中で生きる」は、似ているようで違うことだとも思うし...

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ダークファンタジーが好きな方はもちろんのこと、社会的メッセージが込められた今観るべき映画でもあると思うし、人間にとって大きな範囲を占める愛という概念を綴ったたくさんの人たちに触れて欲しい作品と思う。(ネタバレしちゃってごめんなさい、書きたくて...😂)アカデミー賞の行方もきになるところだけれど、もっと人それぞれの個人的な感情に優しく寄り添ってくれるものであると思うから。