Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

【日記】勉強し続けた先に何があるのか、考える

私の親しい人が最近日記を買ったらしい。何度も日記を始めてみようと決意してノートまで買ったことはあるものの、私は恥ずかしながら続いたことがない。このブログもちょっと「誰かに見られている」ということを意識しているから続けられているけれど、実は今まではずっと頓挫している。笑

 

その日にあったことを書く日記もいいかもしれないが、何よりその時に考えていたこと思っていたことを後から「なぜそれを考えていたのか?」と考えることが、そして「こんなことを思っていたのか」と気づくことが、その時心にふと残った言葉や出来事が後から自分の助けになることもあるかもしれないので、今日は最近ぼんやりと考えていることを記録してみる。

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アメリカにきて一週間。私は昨年一ヶ月ほどアメリカに滞在したことがあったので、あまりものすごい驚きや街の使い方...スーパーの雰囲気やバスへの乗り方などで驚くことは無い。映画館を回ったりスリフトショップを探してみたりレンタルDVDショップを探したり、日本とそこまで変わらないルーティーンを送っている。学校が2月まで始まらないから遊ぶ友達もいないし、いわばめちゃくちゃ暇な状況。ひとりでいろんなことを考えている。映画のこと、これからのこと、恋愛のこと、今までしていた仕事のこと、友達のこと。

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これから大好きな映画のことを勉強するわけだからこんなことを今考えるべきで無いのも、口に出したり文字にしてしまうのも正しいわけでは無い、ということはわかっている。でもこの一週間“何かに詳しくなっても、自分よりそのことに関して詳しい人はいっぱいいる”“勉強だけでは自分の好きなことでも満たされないこともある”ということをよく考える。知識をどんどん集めるのは楽しく幸せだし、知的好奇心や欲があるのはとてもいいことだと思う。それでも何かに還元できないと意味が無いのでは、と思うことがある。もちろんただただ学ぶだけでは社会的な成功や仕事とは結びついていかないだろうし。(それが自分が本当に望んでいることかは、少し置いといて。)

 

研究し続けることに幸せを見出すのか。学んだことを世の中に出して、自分と同じことが好きな人、興味がある人、その分野に携わる人たちと共有していくのか。 今おそらく目の前には目に見えない箱がたくさんあり、それを開けても開けてもその箱の中にまた別の箱があり、それを開ききるまでにはどのくらいの時間がかかるのだろうとも考える。生きているうちに自分が知りたい全てのことを知ることができないとしたら、どこかで別のことに幸せを見つけないといけないのではないか...

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自分は“商業映画”のようなものにあまり興味が持てない。娯楽映画で好きな作品もあるけれど、何だかんだ興味が無い。ウェス・アンダーソンティム・バートンアレハンドロ・ホドロフスキーギレルモ・デル・トロ。自分のネガティブな経験もコンプレックスも、一つの作品として芸術に昇華させる。“作りたい”いや、“作らずにはいられない”というような監督たちの映画にとても惹かれる。自分も何か思いや考えを、おとぎ話のように作れることができたらどんなにいいだろう?でもリアルをそのままに書くことが一番いいと思う時も、いつかくるかもしれない。その時を探すには今は勉強しなければいけないのだけれど。幸せであるための方法を探すのは、考え続けるのは、必要であるけれど難しい。だから人とのつながりが大切であるのかも。自分ではそこまでしか進めなかったことも、誰かの言葉や手を借りて前に進めることがあるから。

 

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あ、あともう一つメモとして。もっと日本語が上手になりたい。笑 きっとこれからどんな言語を習得しても、22年間日本に住んでいたから一番うまく使えるのは日本語なはず。海外にいるからこそ日本人らしく生きれるように意識を持つこと、それは今年の目標の一つにしよう。

 

 

カトリーヌ・ドヌーヴら100人の女性による“MeToo運動批判の書簡”を読んで

 

先日開催されたゴールデングローブ賞授賞式。今回女優たち、俳優たちの多くが黒いドレスや衣装に身を包んで登場しました。全世界で広がる『Me Too』のムーブメント。

2017年10月に起こったハーヴェイ・ワインスタイン騒動。セクハラの話を聞いてとんでもないおっさんだなと思いましたし、『パルプ・フィクション』『グッド・ウィル・ハンティング』などの名作を手がけたプロデューサーと聞いてショックを受けました。無名だったマット・デイモンベン・アフレックを見出した男。彼のセクハラ、レイプ、脅迫行為は許されるものではありません、これから彼によって生まれるはずだった素晴らしい作品は観ることはないのかと思うと、少しだけ残念に思う自分もいたことに気がつきました。

 

ワインスタインに関する告発から始まり、どんどん女性たちによる性的被害の告発が広がっていきました。そしてハッシュタグ #MeToo。どんどん広がっていくムーブメントを見て、何か言葉にできない違和感を感じていました。そして昨日(1月10日,11日?)、ネットで目にしたのが『フランスの女優カトリーヌ・ドヌーヴら100人の女優がルモンド紙に書簡を寄稿、#MeToo運動は行き過ぎと批判』という記事。書簡の内容を訳された記事があったので、貼らせて頂きます。

 

カトリーヌ・ドヌーヴら100人の女性が『MeToo』運動を批判

 

この訳を読み、自分が感じていた違和感がやっと言葉にできるような感覚になりました。私はフランスの女優、作家、映画監督ら100人の女性が発表したこの批判声明に関して、賛同する気持ちでいます。

今までこういった問題に関して何か思うことはあっても、うまく言葉にすることができませんでした。意見を持つということもあまりできませんでした。知識が十分にないから、“意見をもたない”ということを選択するということが良い場合もあると思いますが、今回は少し思うことをブログに書いてみたいと思います。

 

MeToo』のムーブメントは、性的被害、セクハラ問題の重大さを訴えるもの。ハリウッドで蔓延していた問題に目を向ける、意識するようになったということはとても必要なことだと思います。しかし書簡にも書いてあるように、“自由に発言できるようになった女性たちの矛先が逆方向へ向かい始めた”ということは感じます。男性たちのことを貶めよう、憎悪の対象にしようといったなんというのでしょう...間違った“フェミニズムの風潮”が少し流れている気がするのです。

 

ゴールデングローブ賞で大勢の女優さんがブラックドレスを着用していましたが、中にはカラフルなドレスを着用した方も。彼女たちに対して、ブラックドレスを着用しないことへの批判が寄せられていました。それに対してモデルのバーバラ・メイアーはこのように語っています。

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「多くの女性たちが今夜、『Time's Up』のムーブメントを支援するために黒いドレスを着ることになる。これはとても重要で素晴らしいイニシアチブだわ。でも私はカラフルなドレスを着ることを決めました。もし今夜の授賞式を自分たちの権利のために立ち上がる強い女性によるゴールデングローブ賞にしたいのであれば、もうセクシーなドレスを着てはいけないとか、ファッションを通して私たちのキャラクターを表現する楽しみを人から奪うことは間違っていると思うから」

 

彼女がブラックドレスを着用しないからといって、“セクハラ問題を重要視していない”“女性にいやな思いをさせた男性たちの味方”ということは断じてありません。100%大多数の人間がやっていることに沿わなくてはいけないのか?なぜそれをしなかったからといて糾弾しなくてはいけないのか?書簡にもある通り、このようなムーブメントにのっからない女性のことを“裏切り者”とするのは全くおかしいことだと思います。そして、100%の同意をできない人のことを徹底的に排除しようとするのは、自由を奪うことであるとも。

 

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今回のドヌーヴさんたちの書簡に全て「そうそう!」と言えるわけではありません。「彼らが犯した唯一の過ちというのは、仕事上の会食の席で女性の膝をさわったり、無理やりキスをしたり、親密な言葉を囁いたりしたことや、性的な意味にも取れるメッセージを、自分に気のない女性に送ったりしたことだけなのです」この“無理やり”というのは(原文を読んでいないので、もしかしたら意味合いは違うかもしれませんが...)“相手が嫌がっているのに”というのを感じ取れるのでセクハラではないかと思いますが。でもここに、国柄や文化の違いは少なからず関係しているのではないかと思いました。フレンチ・フェミニズムに関して興味深い記事を発見したので、また貼らせて頂きます。

 

フレンチ・フェミニズムについて

 

国によって人々の性格も違いますしコミュニケーションの取り方も違いますし、男女の親密な関係についての考え方も違います。ただ文化が違えど“悪”であるのは、“相手の気持ちを考えずに不快な気分にさせること、踏みにじること、傷つけること”。レイプや脅迫なんてものはもちろん犯罪です。それでも“性”に関してはこれは国も文化も関係なく、一人一人全く違うものだからすごく難しい問題なのではないかと思うのです...

 

人と人の“性的な関係”に、“これが正しい”と割り切れるものはないと思います。まず“SM”という性的嗜好もありますし。嫌だと感じることを受け入れてその関係を続ける、という人だっています。親密な言葉を囁いたり、良いなと思う女性を口説こうという行為だとか、そういったもの全てを糾弾すべきではないと思います。セクシーな人がいたらイイ感じになりたいとかこの人とセックスしたいだとか、そう思うことは何も罪なことではありません。無理やりにすることは犯罪ですが。文化の違い、それぞれの性について心について、難しい問題ではありますがずっと女性たちが“私たちはこんなことで傷ついてたの、犠牲者なのよ”という立場にいるべきでないとも思います問題を取り上げることは大切で、罪を犯した人は償い、そして改善されていくことが重要なことです。正義を暴走させて憎悪を暴走させてしまっては元も子もないというか。“弱いもの虐め”の繰り返しになるのではないかと思います。大多数の意見が絶対として、その他の意見を徹底的に排除すべきでないとも。

 

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この書簡では芸術に迫る洗浄化の波についても言及しています。禁じられたエゴン・シーレの裸婦画。バルテュスの『夢見るテレーズ』を美術館から外せという者。ポランスキー作品上映禁止。『夢見るテレーズ』もシーレの裸婦画も、美しいと思うことはダメなのでしょうか...?芸術作品と混同すべきではないと思います。間違った洗浄は芸術を衰退させてしまうと。トリアー作品が女性蔑視か?そんなことはありません。『愛の嵐』は男性に虐げられる弱い女性の話か?私は一つの愛を描いた悲しくも美しい恋愛映画だと思います。『わらの犬』はレイプシーンがあるから上映できなくするか?いやいや、サム・ペキンパーが自分のことを「暴力監督」といった人たちに対するメッセージ映画でもあるでしょう。レイプされても淡々としている『ELLE/エル』はおかしな映画か?あれは一人の人間が徐々に自分を取り戻していく作品でしょう。書簡にもあるように、「女性はこう書かれるべきだ」なんて決められた作品なんて...それは芸術と言えるのでしょうか。

 

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男女問わず性的暴力の問題が解決されること、悪い過去が葬られて前に進むこと、憎しみが膨張しないことを願います。“本当のフェミニズムとは何なのか”“自由とは何なのか”“正義の形とは何なのか”自分で感じた違和感の答えを探しながら、そんなことを改めて考えさせられた日でした。

アメリカの映画館記録 / 【感想】映画『シェイプ・オブ・ウォーター』ずっとこんなラブストーリーを待ってた

こんにちは!

昨日(アメリカ時間で1月7日)無事にアメリカにつきまして、留学生活がスタートしました!ちなみに飛行機では一睡もできず、ザ・マミーとGotG2、Gifted、小栗旬のミュージアムをずっと観てました。笑(あともう一個なんだか忘れちゃった) 

 

こっちにきていろいろ銀行開設やら学校までの行き方を確認やらしなければいけないんですけれども、とりあえず「映画観よ」と思ったので今日は早速行ってきました😂

観たのはもうすぐこちらでも上映が終わってしまいそうだったので、どうしても映画館で観たかったギレルモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター

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今回は行った映画館がどんな感じだったかと、『シェイプ・オブ・ウォーター』の感想を(できるだけネタバレなしで)書きたいと思います。

 

まず行った映画館は、カリフォルニア州ロサンゼルスの

『Arclight Sherman Oaks』というところ。こちらは他のところにも系列の館があるみたいです。

本当は小さくて汚めの(笑)『トゥルー・ロマンス』でアラバマクラレンスが出会ったみたいなところに行きたかったんですけど、上映館が少なかったのでここに。

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ここは綺麗めなショッピングセンター的存在の中に入っていました。

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チケット売り場はこんな感じ。私が行った時はなぜかチケットカウンターがしまっていて、内設されているコーヒーバーでチケットを購入。笑 大人は14.5ドルでした。日本よりはちょっとお安めだけれど、もっと安いところもいっぱいあるみたいです。あと時間によってお値段も変わるみたい。

日本と違ってグッズやパンフレットは売ってないけどスター・ウォーズ関連はすごく豊富でした。

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上映までの待合室のようなところに入ると、大きなスクリーンにこれから公開される『アイ、トーニャ』や『ペンタゴン・ペーパーズ』、その他の新作映画がずらりと映しだされていて面白かった!

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ウェス・アンダーソンの『犬ヶ島』をみると漢字なので思わずびっくりしてしまいます。笑

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そんな中まるで美術品さながらにうやうやしく飾られる『デッドプール2』...

 

この映画館はシアター数は16、スクリーンもかなり大きかったです。席も日本よりゆったりしていて座り心地よかったかも。

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看板のところはおしゃれな照明で♡ 平日ということもありガラガラでしたが、笑えるところは声を出して笑っている方がいたりとアメリカの映画館らしい雰囲気で楽しかったです。

 

そして、観た映画シェイプ・オブ・ウォーター

 

(『シェイプ・オブ・ウォーター』の微ネタバレを含みます)

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こんなラブストーリーを待っていた、という感想です。

 

舞台は1960年代のアメリカ。主人公の女性イライザは喋ることができない、政府の秘密機関で掃除係として働く女性。そこに連れてこられたのは半魚人の男。そんな二人が恋に落ちるけれど、半魚人は政府の役人に拷問され始め、イライザは隣人の画家や友人のゼルダの力を借りて救出するものの...というお話。

 

ディズニーの『美女と野獣』なんかは、結局野獣も最後王子様に戻る。本当に内面が好きなら、そのままでいいじゃん!今のままでいいじゃん!って思うのに、最後イケメンになるのかよ!みたいな。笑 この映画では最後まで半魚人のまま。ヒロインのイライザも、“超綺麗!お姫様みたい!”という感じではありません。(サリー・ホーキンスさんは魅力的な方ですが、他の恋愛映画のようにキラッキラした感じじゃ全然ない)  異形のものは、異形のそのままだからこそ美しいのに。

 

この映画に出てくるキャラクターたちは皆日陰に生きる者たち。この60年代という時代、ゲイの人や黒人に対する差別が根強く残っている時代。隣人の画家のおじいちゃんはゲイで、イライザと同じように掃除係として働く人たちも白人以外ばかり。起床するのも夕方で、働くのは夜。まさに“陽に当たれない、当たらない人たち”なんです。監督が仰るにはそんな“声無き者たちの”逆襲の物語なんだとか。

 

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なんというか、すごく官能的でした。直接的な意味で、思ったよりも。笑 だって始まってから五分もしないうちに、イライザが自慰行為をするシーンがありますから。笑 それに性と食を結びつけるように食事シーンがすごく多い。イライザやおじいちゃんがサンドイッチやパイを食べるシーン、ソ連の人たち(アメリカとソ連は科学技術を競い合っている最中なのでソ連も出てきます)も超高カロリーそうなバターケーキやらチキンやらを食べてるし。印象的だったのは、マイケル・シャノン演じる悪役の役人はいつもやすそうなキャンディーを頬張っていること

 

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ちょっとネタバレになるんですが、イライザと半魚人が性行為に及ぶことになる...というシーンがあるんですね。その時に画面に水滴が現れて流れ出して、ピタッと一つにくっつくんです。デル・トロ流のセックス表現というか受精の瞬間を見たというか、美しいシーンでした。

 

そういえばイライザはいつも仕事に向かう時に、バスの中で帽子をとって耳に当てているんですね。なんだか大きな法螺貝を聞いているみたいに

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でも半魚人と初体験を終えた後は、その仕草をしなかったんです。その仕草はどこかへ行ってしまいたいという気持ちの現れだったのか、愛する人ができたからそう思わなくなったのか、自分の心の声を聞こうとしていたのか...(私の英語力で読み取れない部分があったかも)

 

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今年は始まったばかりですが自分の中で『シェイプ・オブ・ウォーター』は2018年ベスト10に入るかもしれないです。美しい純愛の物語であり、愛から生まれた芸術の物語であり、陽に当たらなかった者たちの救済の物語であり...ずっと湿っているかのような、ちょっとグロテスクでファンタジックな映像もまたデル・トロ監督の頭の中に入ったかのようで。映画の力を借りて、今まであげることのできなかった叫びが波となって押し寄せる。そんな作品でした。(劇中では10分に一回と言ってもいいぐらい、たくさん映画が流れているシーンがありました。)  ぜひ2月で日本公開されたらご覧になってみてください!

 

 

【感想と気分】キングスマン『カントリー・ロード』帰る場所があるということは

今日(2018,1,6)待ちに待ったキングスマン : ゴールデン・サークル』を観てきた。どうやら賛否...というか好き嫌いは別れているようだけれどもめちゃくちゃ好きだった。キャッチコピー通り秒でアガってずっとアガり続けてた。笑 前回よりかなりマシュー・ヴォーンの趣味性癖が全開、マシュヴォンが自分についてくる人を選別するための映画なの?ヴァレンタインかよ!っと突っ込みたくなる変態描写は多かったものの、普通にうるっとしてしまった...だって序盤からカントリー・ロードが流れるんだもん。

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John Denver(ジョン・デンバー)のカントリー・ロードと聞くと、私は宮崎駿監督の『耳をすませばも思い出す。主人公の雫ちゃんが、『カントリー・ロード』を和訳するんだけれども、その日本語版の歌詞は本家と全然違う。笑

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だってJohn Denver『Take me home,Country Roads』の歌詞和訳は

 

楽園のごときウェストバージニア
ブルーリッジ山脈 シェナンドー川
そこにあるのは歴史多き生命 それは木々よりも古く
山々より若く そよ風のように広がっていく

カントリー・ロード 僕を家まで連れてってくれ
僕のいるべきあの土地へ
ウェストバージニア 母のごとき山よ
僕を家まで連れてってくれ カントリー・ロード

どの記憶を辿っても 彼女のまわりに人は集い
鉱夫の妻は 青き大海原を知らない
暗闇と埃だけが その空を描き出し
月灯りの淡い余韻が 僕の瞳に涙を落とす

朝のひと時には 彼女の声を聴く僕と 僕を呼ぶ彼女がいる 
ラジオが僕に気付かせる 遠く離れた故郷を
あの道へ車を走らせるのは それに気付いたから
昨日家へ帰れば良かったと そうさ 昨日のうちに…

カントリー・ロード 僕を家まで連れてってくれ
僕のいるべきあの土地へ
ウェストバージニア 母のごとき山よ
僕を家まで連れてってくれ カントリー・ロード

 

とまあ「故郷へ連れて帰ってくれ、故郷に帰りたい」というノスタルジーな内容。それに比べて『耳をすませば』の方は

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カントリー・ロード 
この道 ずっとゆけば
あの街に つづいてる
気がする カントリー・ロード

ひとりぼっち おそれずに 
生きようと 夢見てた
さみしさ 押し込めて 
強い自分を 守っていこう

カントリー・ロード 
この道 ずっとゆけば
あの街に つづいてる気がする

カントリー・ロード

歩き疲れ たたずむと
浮かんで来る 故郷の街
丘をまく 坂の道 
そんな僕を 叱っている

カントリー・ロード 
この道 ずっとゆけば
あの街に つづいてる気がする

カントリー・ロード

どんな挫けそうな時だって 
決して 涙は見せないで
心なしか 歩調が速くなっていく
思い出 消すため

カントリー・ロード 
この道 故郷へつづいても
僕は 行かないさ
行けない カントリー・ロード
カントリー・ロード
明日は いつもの僕さ
帰りたい 帰れない
さよなら カントリー・ロード

 

 

「故郷へ続いていても僕はいかない」とそこから全然違う。『耳をすませば』の内容を考えると、夢を追いかけるためにこの道を進む、夢を叶えるまでは故郷に帰らない、でもあの街=同じように夢を叶えようと奮闘しているあの人の元へ続いている(映画だと雫にとっては天沢聖司くんかな?)、続いていて欲しいという意味なのだと思う。

 

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人と昨日、“帰る場所があるというのは、会いたい人がいるということだよね”という話をした。場所=大切な人なんだよね、と。故郷を懐かしむ、会いたいと強く願う人がいることも、違う道を進んでいても、同じだけの熱量を持っていつか一つの道につながればいいと思う人がいることもどちらも素敵なことだと思う。私は今まだ故郷を出ていないから(笑)『耳をすませば』の雫ちゃんの気持ちに共感するけれども、故郷に帰りたいって思う時もくるんだろうか。それは何年後になるんだろう。

 

キングスマン : ゴールデン・サークル』、『カントリー・ロード』を思い出させてくれてありがとう💕 また映画の感想についてはゆっくり書きたいなと思います!

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

【日記】恋愛についてちょっと考えてみようかと

先日友人と「例えば全くその意味を持たない言葉でも、話している2人の間では別の意味を持つことがあるかもしれないよね」という話をした。つまり、何気ない「おはようございます」という言葉でも、場合によっては「愛している」という意味を持つかもしれない、ということ。確かに「殺してやりたい」なんていう物騒な言葉でも実は裏には「愛してる」という意味が隠れていることは、映画や小説でよくある。

 

おとといぐらいに久しぶりにラブコメディを観た。個人的にコメディもミュージカルも比較的に苦手なのだが、ジャック・ニコルソンが出演しているということで前から気になっていたラブコメディだった。タイトルは『恋愛小説家(1997)』。

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これは恋愛小説はかけるものの実生活では愛も人情も知らない(しかも極度の潔癖)偏屈な男が、隣人でゲイの画家や行きつけの店のウエイトレスの女性と交流するうちに人並みの愛情を知っていくという物語だ。

主人公とヘレン・ハント演じるヒロインが少し洒落たレストランに出かけるシーンがある。ドレスアップしているヒロイン。主人公は内心素敵だと思いつつ、いつものへそ曲がりな性格が災いして「女はネグリジェみたいなの着ている」だの可愛くない台詞を吐いてしまう。それに対してヒロインは「ひどいわ!ほら、私を喜ばせる台詞を言いなさいよ」と主人公に迫ってみせる。

そうするとニコルソン演じる主人公はこう言うのだ。

「いい人になりたいと思ったよ」

 

 

恋愛映画は「愛している」という言葉を様々な言葉で言い換えたり表現したりしているものだと思う。「好きだ」とすぐ言ってしまってはそこで終わっちゃうし。笑 『恋愛小説家』を観て、一対一でお互いの概念を共有しあったり自分の人格を知ってもらううちに、2人だけの“言語”が成立していくというのは良いものだなあと改めて思った。

 

周りくどく前置きしたものの、今日は2017年最後の日。何かしら文章を書きたいと思ったんだけれど最近は新作の映画を観ていない。だから今回も(最近こういうブログが多いけれど)記録のつもりで恋愛のことでも書いてみようと思ってる。笑 

 

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恋愛の形はどうであるとか愛情は何であるとかその完璧な答えを知っている人なんているんだろうか。「いろんな形があって人それぞれだよ」確かに「人による」というのは間違っていないと思うけれども、それじゃ議論は進まない。笑 

私だって正解はわからないけれど22歳の今、ちょっとばかりはわかったことがある(と思っている)。一つは恋愛は人に言うことでもない、愛情は男と女の間にだけ芽生えるものじゃないから彼氏や彼女なんていう名称もきっといらない、ただ2人が2人にしかわからない関係でいればいい、と言うこと。

たまに記事で「こんな彼氏はどうすればいいのか」「こんなことができない彼女はダメ」なんて言うのを見かける。2人が2人だけで納得していればいいのに、何も知らない第3者の意見が介入してしまっては、その世界は壊れてしまう。誰のために恋愛しているわけじゃないのに。

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あとはいろいろと不確かなことが多い中で、確かであり続けるようにお互いに努力すること。目に見えないもの(それが愛なのか?)を信じること。サンタさんがいるかいないかわからなくてもクリスマスにはサンタさんがいると言うように、信じること。そっちの方が絶対に幸せなのだと思う。変わっていく中でその人と自分を信じ続けること。

 

あとは何だろう。理解できていたことを白紙に戻すことか。理解することをあえてしないという選択をすることなのか。できるかできないかと言うことと選択肢がある状態で、それを選ぶか選ばないかということは違うから。それは恋愛だけじゃなくて、大人になるという途中でこういうことをするというのはあるものなのか。

 

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「苦痛のない愛はないが愛のない人生は無だ」とかそんな台詞、聞いたことがある。映画のラブストーリーのような恋愛はそうそうないだろうが、ラブストーリー以外のような恋愛はあるかもしれない。自分以上に自分のことを知っている人に出会えるかもしれない。何からしくなろうとしなくても、その人と会話することでより自分になれる、そんな人にも出会うかもしれない。免許を持っていても免許を捨てたくなるような人に出会うかもしれない。笑 来年の今頃か再来年の今頃、もう一回このブログを読み直そう...2017年、毎年通り映画と本にたくさんの愛情と時間をつぎ込んだ私は、恋愛に関してはこんなこと思っていたんだよって。笑

【日記】出発を控えて / 私がアメリカ留学を決めた理由

 

後2週間もしないうちにアメリカへ留学に行く。

アメリカに留学するよと1年前の自分に言ったらなんと言うだろう?「え、そうなの?」とびっくりするだろうし、「今までも散々悩んでたんだから、もっと早く行けばよかったじゃん」とちょっと呆れるかもしれない。「webのライターのお仕事も離れたよ」と言ったらもっとびっくりするだろうし、「なんでなんで?」ともっと聞かれそうな気がする。

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留学を決めたのは今年の8月ぐらいのことで、それから今思えばあっという間だったけれど8〜10月ぐらいまではとても長く感じた。早くどこかへ行きたくてたまらなかった。6月と7月に少しの期間アメリカへ行って過ごして、そこで学んだことは今までの中で一番と言ってもいいほどとても多くて、自分の中で考えたことも多かったし、大きかった。夏がなかったら留学は決めなかったと思う。時間が差し迫ってきた今、これからの留学のことを考えると楽しみな反面正直怖くて怖くて仕方がない。

 

私はアメリカの2年制大学、ロサンゼルスのコミュニティカレッジに映画を勉強しに行く。映画の撮影の方法から映画史、脚本だって学ぶ。演技のことも学ぶかもしれない。それ以外にも選択して哲学やら何やらも学んでいくかもしれない。

 

留学しないという道を選択したらどうだったか?そのことについても散々考えた。今までのようにライターを続けて、前よりも読みやすく記事を書けるようにはなっていっただろう。いろいろなプレミアへ取材へ行くこともあっただろう。もっと時間が経てば、取材へ赴くこともあっただろう。日本で知り合うことのできた様々な人と、何か一緒にやることもあったかもしれない。もっともっとお金が貯まって大人になって...日本で結婚をするかもしれなくて?いや、それでも絶対いつか、海外へ行く道を自分は選んだんじゃないかと思う。

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もっとこれをやればよかったと思うこともある。例えば、文字ではなく音声で、映画の紹介や考察を話すラジオもどきみたいなのをやってみたりだとか。ZINEを作ってみたりだとか。もう直ぐ留学に行くからとやめるのではなく、どうであれ動き出してみればよかったんじゃないかと。それでも、周りの評価がどうだったとして、自分にとってそれが“今までやってきたこと、発信してきたことの形を変えただけ”という結論になってしまうのは、よく分かっている。それは私には知識の土台がないからだ。

 

映画に関わるお仕事をしていくのは(どんな仕事もそうだけれども)とても難しいと思っている。

映画が好きだ。じゃあ映画界に対してどのような貢献をしたいのか?今の映画界に対してどのように思っているのか?映画を本当に愛しているならどのようなことがしたいのか?映画を使って、社会にどのようなメッセージを送る人間になりたいのか?映画を使って、人にどのようなポジティブな作用を与える人になりたいのか?これに関して、自分はまだ明確な答えを持っていない。どちらかといえば、“人に、社会に”というよりも“自分はこういう研究をしたい”“自分はこんなことを知りたい”“こんなものを作ってみたい”そういった“自分のために、どうこうする”というわがままな気持ちが強い。

 

映画に関して文章に関してど素人だけれど、精一杯の気持ちで映画を紹介するお仕事をしてきた。どんな記事を書いたら楽しんでもらえるかと考えてきた。でももうそれをやめよう、次のステップに行こうと思って留学に行くことを決めた。生意気かもしれないけれど、“楽しいこと、面白いこと”以上に“ためになること”を発信できる人になりたいと思った。毎日毎日流れていくニュースではなく、これから先も残り続ける“考え”を書く人になりたいと思った。今の自分はまだ吸収する側で、“ためになること”を発信するなんて、到底無理だった。

 

留学に行ってみてどうなるだろう?日本人がいない環境に1人飛び込んでみてどうなるだろう?全く分からない。自分が全く使い物にならないと分かる瞬間があるかもしれない。映画界にとって必要のない人間だと思わされる時がくるかもしれない。素晴らしい映画評論や考察なんてできっこないかもしれない。脚本なんて書けないかもしれない。自分は全く特別な人間じゃないと思わされるかもしれない。日本に帰ってきて、またライターに戻るかもしれない。何を学んだんだろう?と自問する時がくるかもしれない。こんなに好きな映画を好きではなくなることがあるかもしれない。

 

でも、それはまだ分からないことだ。誰も知らないことだし、自分の中にも答えがないことだ。それで悩むのはもちろん馬鹿げている。分からないから、だからこそ、リスクを自分から背負いたい。自分は絶対に愛を持って映画界に貢献する人間になるんだと、大きな声で今言い聞かせたい。さぼらない。手を抜かない。妥協しない。恐れない。学ぶことを忘れない。少しくじけたらやめてしまいそうになるこれらのことを、絶対にしないと、自分に課したい。そうじゃなきゃ日本を出る意味がないから。

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自分が日本を離れる間、web媒体もどんどん変わるだろうし、映画界も変化するだろう。アメリカから歯ぎしりしたくなるほど悔しい思いをするかもしれない。それでも、絶対にいつか、今考えつかないような大きなものを生むために、頑張り続ける。気持ちが弱くなったら今書いたこのブログを見返そうと思う。

 

ブログを始めたことは自分の中で、「やってよかった!」と今年大きく思ったことの一つ。Twitterで毎日映画のことを発信したのも、小さいかもしれないけど続けてよかったうちの一つ。ライターをしていた時から知ってくださっている方もコメントをくださる方もいて、「こんな私に...」と嬉しい気持ちでいっぱいだった。これからも映画のこと、それから留学のことも書いていくつもりでいるので、応援してくださると本当に嬉しいです。もっと面白い記事を書けるように、より読む価値のある記事を書けるライターになれるように精進してまいります。

 

 

まだもうちょっといるけどバイバイ日本。あ、かたっくるしくなっちゃったけど最後にアメリカで密かに願ってること。町山智浩さんにお会いしたい!笑 

 

 

【日記】映画はすべて自分のためになるか / ためにならない映画はあるか

映画でも本でもそれから洋服でも、“選ぶこと”が大事だと思っている。

 

先日友人と話していて、「ためにならない映画や本はあるか」という話題になった。私は「ためにならない映画はある」と答えた。「ためになるとは言えない映画もある。」

いや、どんな作品を観ても何かしら学ぶことはあると思う。例えば“ああ、本当に好きな人には強がらないできちんと思いを伝えた方がいいのね”とか(マリオン・コティヤール主演の『世界一不運で幸せな私』を観たときに思った気がする)“手放すことも1つの思いやりと愛情なのね”とか(ティム・バートンの『コープス・ブライド』を観たときにそう思った)。きっと自分のためになることはある、はずだ。

 

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ただそれでもすべての映画が良作というわけではない。ストーリーが面白くても映像が映画全体のメッセージを伝えるために、ちゃんと作用していないこともあると思う。リアルに描かなければいけないのに、全くリアリティがなかったりだとか、大まかなあらすじはちゃんとしているのに細かい部分が全然分からなかったりとか。お金ばっかりかかってる印象はあるけれど、ストーリーの緩急に全く乗れないだとか。笑  だから「この作品のここがダメだった」「ここはもっと改善すべき点だ」と、映画を向上させるため、良し悪しを伝えるために批評家や評論家の方がいる

 

それに、全く違う映画でも同じようなことを描いている作品はもちろん多いと思う。

自分の夢のために今までの場所を出発する話。

禁じられた環境の中で本物の愛を見つけようとする話。

血が繋がっていようと繋がってまいと、強い絆で結ばれた家族の話。

だから「今自分はこういう気分だから、その答えが欲しい」「人生哲学に触れたい」「恋愛で悩んでいるから大人の恋が知りたい」そのようなことを思って“自分にとってためになる映画を観たい!”と思い手にとる時は、数ある中から吟味することが大切だと思うのだ。そのメッセージが映画というツールならではこそ心に迫ってくるものが良い。ふと選んだものが自分の考え方を左右するような、そんな出会いもあるから面白いのだけれど。

 

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また観た映画すべてが“自分のためになった!”というのも、少し問題なんじゃないか...と個人的に思っている。笑

だって作り手さんは違うわけだし、皆が同じ考え方ではない。その人が描く恋愛模様、正義のあり方、悪のあり方、夢の追い方、それぞれ違うわけだから「この映画はここが面白かった。でも自分はこの考えがあるから、主人公の行動には共感できない」という理由を持つことが大切なのではないかと。だから本数をたくさん観るよりもしっかりと選び、そこから“この作品のどこが好きなのか”“どこに一番感情移入するのか”“なぜこの部分が気にくわないのか”と分析することが、自我を育てより自分自身に迫ることに“ためになる”のではないかと思う。 自分にとって、“普遍的だと思えるもの”を選ぶことが重要なんじゃないのかなあ。

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お洋服なんかも一緒だ。何着も何着も持っているより、その服が安くても高くても“自分にぴったりと合っていて、長く着ることができて、それに変わらない好きなスタイル”を見つけることが大事だと思う。自分らしくいるためには、変わらない自分自身を見つけるためには中から吸収するものも自分を印象付けてくれる衣服も“よく選ぶこと”。 “どんなものからも学ぶ姿勢で、自分にとって大切なものを探す”そんな気持ちでこれからも映画を手にとっていきたいと思う。