Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

21歳の1年で学んだ・考えた5つのこと

 

勉強すること

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ギリシャの哲学者、ソクラテスの言葉に

“自分は無知であることを知っているから、知っていると思い込んでいる君たちより私の方が賢い”という言葉がある。今年、初めてやっと『ソクラテスの弁明/クリトン』を読んだ。

この言葉だけ知っていたけれど、全編読んでみればその言葉は断片的なものにすぎず、きちんと全部読まなければ、本当の意味なんて理解できっこないということが分かった。

何でも疑問を持つこと、疑問を持ったことはとことん追求することの大切さを学んだ。“自分は知らないことがたくさんある”と、知的好奇心を持ち続けることの大切さを学んだ。

 

ソクラテスの弁明』はすごく難しくて読むのに時間がかかったけれど、これからのバイブルになると言っても過言ではないくらい、自分にとって意味のある哲学書だった。

“難しいこと、ややこしいこと”は悪ではなくて、学ぶには楽な道はないってこと、でも自分が探している答えを導き出してくれるものの一つは“読書”ということを改めて実感した。

 

争うこと=悪ではない

 

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ニール・サイモンの戯曲、『ビロクシー・ブルース』を読んで学んだこと。

今まで人と争うことが嫌いで、とやかくも言いたくなかったし、人と争ってまで意見を主張することを憚っていた。今も喧嘩は嫌いだし、人を傷つけるようなことをするのはもちろんだめな事と思う。だけれど、争うことは絶対の悪じゃないと思った。

自分が心から思っていること、正義だと思うことに反するようなことがあれば、その争いに加わって自分の意見で戦うことはとても大事だし、そっちの方が心に健康的なのではないかと感じた。

ずっと傍観者でいたらきっとふわふわしたまま終わっていってしまう。『ビロクシー・ブルース』の台詞にもあるように、“苦労がなかったら1日は朝の11時で終わってしまう”。“自分の信じる道の戦いに飛び込むこと”は、自分の成長につながる。

 

私は映画が大好きで、今まで作品を観ても、どちらかというと疑問に感じたところは触れないで、よかったところばかり人に話していたと思う。

でも絶対に「なんで?」と思ったところはもっと考えて答えを探すべきだったし、「これはよくないと思った」というところは人と議論した方がよかったのではないか、と思っている。(よくないというか「自分とここ合わないわ」と思う嫌なところは、目を背けてそのままにしていた節があるのでは、と内省している)

もちろん、具体的な理由もなしにギャーギャー争うんじゃあ意味がない。「ここはこうだから、こう思った。」「私はこういう考えがあるから、こう主張する。」

そうやって会話を白熱させて、自分もその相手の人も、どんどん次に進んでいけるのではないかと思う。

 

変わらずに生きるためには、変わらなければいけない

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ルキノ・ヴィスコンティ監督、アラン・ドロン出演の映画『山猫』の台詞。

ネットを見ていて思うし、web媒体のお仕事をしていたから思うけれど、どんなところにも色々な情報が溢れているし、毎日目まぐるしく様々なことが報道される。すごく便利だと思うけれど。“手に取りやすいこと”“読み切ること”が本やwebの記事では重要視されていると思う。webで記事を書いていた時、「このままじゃダメな気がする」ということをぼんやり思っていた。どんどん変化していくことに、自分も流されてしまうような気がしていてた。

情報にも、(また映画の話になってしまうけれど)映画の考察にも、“正しくないこと”と“正しくないこと”があると思う。自分が今まで書いていたものは、満足いくように書けたものもあるけれど、その考察が間違っていたか合っていたかは置いておき、素人の感想にすぎないのではないかと思った。でもこれからその分野について一からとことん学べば、“正しいこと”が書けるのではないかと思った。“読む価値があるのもの”を。

それに、情報がたくさん流れていっても、“普遍的なこと”は残るだろうと考えた。

学生時代に始めたライターのお仕事に一区切りつけることは、(大した年月じゃなくても)不思議な気持ちだったけれど、自分が変わること=成長することが、普遍的なものを作れる良い道なのではないか、と考えている。

 

理解すること

 

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インディ・ジョーンズ』や『海底二万マイル』を観て冒険家、考古学者になりたいと思っていたし、スパイ映画を観て絶対FBIやスパイになりたいと思っていたけれど(FBIは小学生の時に何かを悟ってやめた笑)でもずっと変わらない夢は一つだけ、小説家になりたいと思っている。つらつら詩だったり短編小説だったりを書いている。

書いていて思うのが、“こんな気持ちやあの時に見た景色だったりなんて、自分の言葉じゃ表せないんじゃないか”と思う。まだまだ語彙力も足りないし、それに経験も足りない。もっともっと散々な思いをしないと、何か作品は作れないんじゃないかと思っている。

でもそれと同時に、“難しい言葉を使わなくても、自分がその意味をしっかりと理解して使えば、心に残る台詞(文)になる”ということも学んだ。『ビロクシー・ブルース』は『ソクラテスの弁明』を読んだときのように、何回も辞書を使わなくても読むことができた。テレンス・ラティガンの『深い青い海』も同様に。それでも、心に突き刺さる台詞がたくさんあった。

言葉だけじゃなくて、思想も、行動も。しっかりと理解していなければ、自分自身に矛盾することになってしまう。自分の根元がぐらついてしまうと思う。

もしかしたら予期せない題材で、ぽんと物語ができちゃうかもしれない。映画を本格的に作るかもしれない。SF小説やファンタジーが書けてしまうかもしれない。笑 今はたくさん吸収して、そして一つ一つの言葉に対して丁寧に向き合いたいと思っている。そして衝動的な気持ちだけに任せず、「こういったメッセージがあるものを書こう」と思って、構築できるようになりたい。

 

人間関係は、続かないもの?

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もともと友達は少ないけれど、もっと少なくなった気がする。笑 これまで仲が良かった友達とも今年は喧嘩した。笑 それでも、今までより真っ向から向き合うことが増えた。というより、私を向き合える人間に変えてくれた友達に出会えた。21歳の1年の中で、もっとも大きな出来事の1つ。

自分もどんどん変わっている。今はこれまで気づいていなかったことに気づかされている、という方が正しいかもしれない。勉強に対して、仕事の毎日の生活に対して、正しいと思うこと、大事だと思うこと...周りの人もどんどん変わっているし、それが自分と噛み合わなくなる瞬間がくるというのはある種当たり前かもしれないし、仕方がないことなのかもしれない。 

簡単に繋がれるこのご時世、やっぱり昔より濃い濃い人間関係を築くことは簡単ではないと思う。本当に、ぶつかりあってみないと分からないこともある。これからまた友達はきっと増えるだろうし、少なくなることもあると思う。でもお互いに変わっていく中で、生活が変わっていく中でも続いていく関係は、どんな形であれ一種の“愛情”がそこにあるんじゃないだろうかと、今は思いたい(信じたい)。

この考えもあと1年後にはまた変わっているかもしれない... でも21歳で学べたことは、学ぶには少し遅すぎたこともあるかもしれないけれど、これからだと思って、精進していきたい。