Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

【日記】映画はすべて自分のためになるか / ためにならない映画はあるか

映画でも本でもそれから洋服でも、“選ぶこと”が大事だと思っている。

 

先日友人と話していて、「ためにならない映画や本はあるか」という話題になった。私は「ためにならない映画はある」と答えた。「ためになるとは言えない映画もある。」

いや、どんな作品を観ても何かしら学ぶことはあると思う。例えば“ああ、本当に好きな人には強がらないできちんと思いを伝えた方がいいのね”とか(マリオン・コティヤール主演の『世界一不運で幸せな私』を観たときに思った気がする)“手放すことも1つの思いやりと愛情なのね”とか(ティム・バートンの『コープス・ブライド』を観たときにそう思った)。きっと自分のためになることはある、はずだ。

 

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ただそれでもすべての映画が良作というわけではない。ストーリーが面白くても映像が映画全体のメッセージを伝えるために、ちゃんと作用していないこともあると思う。リアルに描かなければいけないのに、全くリアリティがなかったりだとか、大まかなあらすじはちゃんとしているのに細かい部分が全然分からなかったりとか。お金ばっかりかかってる印象はあるけれど、ストーリーの緩急に全く乗れないだとか。笑  だから「この作品のここがダメだった」「ここはもっと改善すべき点だ」と、映画を向上させるため、良し悪しを伝えるために批評家や評論家の方がいる

 

それに、全く違う映画でも同じようなことを描いている作品はもちろん多いと思う。

自分の夢のために今までの場所を出発する話。

禁じられた環境の中で本物の愛を見つけようとする話。

血が繋がっていようと繋がってまいと、強い絆で結ばれた家族の話。

だから「今自分はこういう気分だから、その答えが欲しい」「人生哲学に触れたい」「恋愛で悩んでいるから大人の恋が知りたい」そのようなことを思って“自分にとってためになる映画を観たい!”と思い手にとる時は、数ある中から吟味することが大切だと思うのだ。そのメッセージが映画というツールならではこそ心に迫ってくるものが良い。ふと選んだものが自分の考え方を左右するような、そんな出会いもあるから面白いのだけれど。

 

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また観た映画すべてが“自分のためになった!”というのも、少し問題なんじゃないか...と個人的に思っている。笑

だって作り手さんは違うわけだし、皆が同じ考え方ではない。その人が描く恋愛模様、正義のあり方、悪のあり方、夢の追い方、それぞれ違うわけだから「この映画はここが面白かった。でも自分はこの考えがあるから、主人公の行動には共感できない」という理由を持つことが大切なのではないかと。だから本数をたくさん観るよりもしっかりと選び、そこから“この作品のどこが好きなのか”“どこに一番感情移入するのか”“なぜこの部分が気にくわないのか”と分析することが、自我を育てより自分自身に迫ることに“ためになる”のではないかと思う。 自分にとって、“普遍的だと思えるもの”を選ぶことが重要なんじゃないのかなあ。

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お洋服なんかも一緒だ。何着も何着も持っているより、その服が安くても高くても“自分にぴったりと合っていて、長く着ることができて、それに変わらない好きなスタイル”を見つけることが大事だと思う。自分らしくいるためには、変わらない自分自身を見つけるためには中から吸収するものも自分を印象付けてくれる衣服も“よく選ぶこと”。 “どんなものからも学ぶ姿勢で、自分にとって大切なものを探す”そんな気持ちでこれからも映画を手にとっていきたいと思う。