Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』は恋愛映画じゃない?“映画の見方”を考えさせられた理由

こんにちは!Moekaです。

もう10月になっちゃいましたね...!あとだいたい一ヶ月で自分は22歳になります!早っ!!小学生中学生の時には22歳ごろというとハイヒールをかっこよく履きこなせてる図をイメージしていたのですが、毎日スニーカーしか履いておりません。

 

そんな話はおいといて(笑)今日お話したい映画はフランス映画『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(1986)です。

 

(この記事は映画『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』のネタバレを含みます。)

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原題の『37°2 le matin』この37.2度というのは、女性が一番妊娠しやすい体温なのだとか。この作品は大好きなのですが、理由は多々あります。一つは“恋愛映画として”心揺さぶられていたから。一つは映像がほんとうに美しいから。海辺のバンガロー、ベティとゾルグが草原で二人の時間を過ごしている図、最後ベティがいなくなってしまったあとの、あの満ち足りた静寂のブルー...そしてこの作品は“いち恋愛映画ではない”と気付かされたから。自分が映画というものを本格的に勉強しようと、改めて決意させられた作品であるからです。

 

そう、この『ベティ・ブルー』、ベティのキャラクターが強烈じゃないですか。笑 ベティとゾルグの真似できないようなまさに“激情”の愛に鷲掴みにされた方が多いと思うんですね。私も初めて観たのは高校生だったと思うんですけど、「愛ってなんだ?」ってしばらくうなされました(笑)でもこの映画、“恋愛映画”っていうわけじゃないみたいなんです。これは私が自発的に気づいたわけではなく、友人に気付かされたことなので、それをちょっとお話しますね。

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映画好きな友達に「これみてみて!」って『ベティ・ブルー』をおすすめしたんですよ。まだ観たことがなかったらしくて、私は好きな作品なのでどのように観るのか聞きたくて。で、こう言われたんです。

「これ、ファイト・クラブ』みたいな話っていっちゃあ『ファイト・クラブ』みたいだよね。」

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(困惑する私のイメージ図)

おおお。笑 で、その理由を教えてくれました。

ゾルグにとってベティは、自分が本当はしたいけれどしない、できないことをしてくれる存在でしょ。最初にバンガローでやっていたペンキ塗りだって本当はやりたいことじゃない。ゾルグは小説家になりたいから。だから代わりにベティがめちゃくちゃを言って、その仕事をやめることができる。小説家になるのをしぶっているけれど、ベティが背中を押してくれる。(代わりにワープロで原稿を打って送ってくれたり)

で、最後には、ゾルグは小説家になるという自分の道を定める。だからベティはいなくなっちゃう(死んじゃう)んだよ。最後猫が出てくるけど、途中からあの猫は登場してるしね。ベティなしでも自分の道を歩めるようになるから、いらなくなるんだよ」

 

正直最初は、「いやでもこれは倒錯的な恋愛映画なのでは...!」ってなんだか反論したい気持ちでした。笑 

 

「まず、ゾルグとベティの出会いの経緯は描かれていない。ベティは突然現れる。最初ゾルグの部屋には、モナ・リザの絵が飾られている。『モナ・リザ』ってどういう表情をしているかわからないでしょ。これはまだゾルグが“自分がどういう人間かわかっていない”っていうことだよね。ゾルグは小説を書いているけれど、どういう小説なのかはわからない。「コメディ?推理小説?」なんて会話をするシーンがあるけれど、どんなジャンルなのかは結局わからない。あと、二つの飲み物を思いっきりたたきつけて混ぜ合わせて、お酒にするシーンが何度もあるよね。これは“異なる人間同士”つまりはベティとゾルグが一つになる=ゾルグに統合される、ってことなんじゃないの。」

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すごく陳腐な言葉になってしまうんですけれど、「なるほど」と思いました。この前『(500)日のサマー』をまた観直して、「そっか、トムの恋はうまくいかなかったけれどサマーはトムに“自分の道”をしめす青い鳥だったんだ...!」って思ったんですけれど、この『ベティ・ブルー』ではベティが、ゾルグに“生きる道”をしめす人物であり、ゾルグの化身(?)であったんですね。ゾルグの小説の中に生きている、彼が創造した女神のような存在。だからこれはちょっとやばい女の子が駆け抜ける“いち恋愛映画”というよりは“まだ自分が定まっていない主人公”が成長していく、いわば『ファイト・クラブ』に似たテーマを扱っている作品だったんですね...

 

ここからは私の個人的な 感想になってしまうのですが、たとえ“恋愛”ものじゃないにしても、ベティの愛し方は大好きです。ベティって確かにキテレツな言動が目立つけれど、すごく献身的で、犠牲的じゃないですか。彼女はゾルグの子供を産むことができなかった、彼女が思う二人の愛の形をこの世に残すことはできなかったけれど、自分によってゾルグが素晴らしい作品を生み出すことを望んでいたと思うし、わかっていたと思うんです...まあゾルグとベティが一人の人間と考えるとちょっととっちらかっちゃうと思うんですけど...でもやっぱり観て思うのは、本当に人を愛するというのは痛くてつらくて仕方がないんだなということ。それでも心身を削って愛情を捧げるのは、とても美しいことなんだな、と思います。

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好きな男の人が自分との愛を何か作品にしてくれたら...そう思うとロマンチックだなあとずっと思っていたんですけれど、でもやっぱりだなって今は思います。笑 それだけで終わりたくないし自分がなんか書きたい。笑 ゾルグの方がいい。笑

 

それで、考えさせられた“映画の見方”について。

今回友達の考察を聞いて、私は納得しました。“映画を観て何を思うか、自分にとってどんな作用があったか”はもちろん人によって違う、それぞれだと思うんです。でも“この映画が何を描いているか、何を取り扱っているか”にはやはり答えがあると思ったんです。監督という作り手がいるし、原作小説がある場合もある。小説を書いているのは一人の人間ですから。(『ベティ・ブルー』の原作はまだ読んでいないので、読んだら今回お話した考察はもしかしたら違うところもあるかもしれません。)

 

その映画が投げかけてくるものを受けとるには、きちんと洞察力を持って観なくてはいけない。だから今回『ベティ・ブルー』を観て友達とお話したあと、映画を自分の力で考察できるようになるために「本格的に映画学を勉強しよう」と決心しました。そんなわけで前々から大好きだった『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』は、自分にとってすごく意味のある作品になったんです。

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だからこれからもっともっと、映画を深く掘り下げて、面白い記事を書いていけたらと思うので...(たまに英国紳士たちの沼記事も挟みつつ...)ブログを何卒ぜひぜひ、よろしくお願い致します!🙇🙇🙇

 

だいぶ個人的な話になってしまってごめんなさい( ;  ; )みなさんにとって自分に大きく意味のある、人生に影響を及ぼした作品は何ですか?ぜひ教えてください!ではでは:)