Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

【旧作振り返り】映画『エターナル・サンシャイン』考察 恋愛で一番必要なのは、“○○こと”?

真の幸福は罪なき者に宿。
忘却は許すこと。太陽の光に導かれ、
無垢な祈りは神に受け入れられる。

 ーアレクサンダー・ポープ

 

2004年の映画『エターナル・サンシャインに引用されている詩です。

「さよなら」の代わりに記憶を消した。

別れた恋人たちがお互いの存在を忘れる“記憶除去手術”を受けるけれども、その後に待ち受けていたのは...頭の中を、夢と現実を行き来しながら、ミシェル・ゴンドリー監督の宝箱の中をひっくり返したようにカラフルにつづられる『エターナル・サンシャイン』は大好きな恋愛映画の一つ。個人的にジム・キャリーの顔芸はあまり得意ではないのですが(失礼)この作品だと内気な青年を演じていて、他の作品とまっっっったく別人に見える。コロコロと髪色が変わるケイト・ウィンスレットも、健康的でセクシーで素敵です♡

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正直初めて観た時は「えっ記憶消しちゃうの..?やだやだ悲しい!」となってしまって大混乱。笑 二回目に観た時は「すごく世界観好き。でも恋愛で必要なのは結局なんなのだろう?」と悶々。(思春期でした) そして今観返してみて、『エターナル・サンシャイン』の大きなテーマ、そして恋愛で大切なことは詩にもあるように“許し”なのではないかなあと思っています。

 

(この記事は映画『エターナル・サンシャイン』のネタバレを含みます。)

 

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「私はイカれた女なの。安らぎを求めているのよ」

ヒロインのクレメンタインはエキセントリックな女の子。(この台詞をみると意外と普通の可愛らしい子のような気がしますが...)まさに内気な主人公、ジョエルの世界に新しい“色”をもたらしてくれたような人物です。彼女とみる世界は彼にとって、今までと全く違ったものだったでしょう。

しかしそんな特別な彼女との付き合いも、時が経つにしたがって普通のカップルと同じようなものに思えてきます。「また今日も中華、僕らもどこにでもいるようなカップルに見えているのだろうか」魅力と思っていた彼女の性格もだんだん「やっぱ違うわ」と思ってくるように。そして些細なことで喧嘩をして別れてしまい、クレメンタインに続いてジョエルも記憶除去手術を受けます。

 

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特別だと思う人をそのままに止めておくには、その人の存在を葬り去るしかない。自分の中で殺すしかない。記憶を捨てるしかない。そうしたら「なんだ、やっぱりこんなもんだったじゃないか」なんて思うこともないし、がっかりすることもないから...

失われていく記憶をジョエルがさまようところで、まさにクレメンタインと同じように“殺し合い”もどきをするところがありました。枕を互いの顔に押し付ける場面です。自分の気持ちを、相手のことを、“特別”なままそこで殺してしまおうとしているのではないか、と思います。“記憶を消す”ということによって。しかしジョエルもクレメンタインも互いの思い出を失うけれども、また出会って惹かれあう。

 

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そこで思うのは、ジョエルとクレメンタインがまた出会って惹かれあうことになるのは、“運命の相手は何度すれ違ってもまた出会い、一緒になる”ということよりも“お互いのことを許すことができたから”だと思います。「忘却は許すこと」とアレクサンダー・ポープの詩にあるように、除去手術が“相手の存在を葬り去ること”ではなく“許しあうこと”であったから、そして忘れていく中で「やっぱり忘れたくない、愛している」と思ったからまさに“無垢な願い”が神様に受け入れられた...ということなのではないでしょうか。

 

一回忘れてしまったあとだから、またジョンはクレメンタインのエキセントリックなところに惹かれるでしょうし、クレメンタインはジョンの内気で優しげなところに惹かれるでしょう。手術を受ける前のように些細な喧嘩をすることもあると思います。でも2人は手術の時に残した“互いの悪口テープ”をもらったし(笑)、“互いの欠点も許すこと”を学びました。だからきっと今までより素敵な付き合い方ができると思うのです。

 

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時系列もごちゃごちゃだし、現実と脳の中の世界は入り乱れるし、少々難解に感時られますが恋愛で大切なことをファンタジックに描ききった傑作が『エターナル・サンシャイン』。すごく特別に思う人も、それが特別だと思えなくなった瞬間も、相手も自分のことも許して、そのあとにまた向き合えるような恋愛がしていけたらいいなと思います。

Twitterのタグ#名刺代わりの映画10選 で自己分析記録パート②

前回に引き続いて、Twitterのタグ #名刺代わりの映画10選 の

続きを書いていこうかと思います:) 後で見返した時、「自分こういう理由で選んだんだ」って思えるように!笑

 

 

(5作品のネタバレをちょこちょこ含みます。)

 

価値観(影響を与えられたもの)編

1.時計仕掛けのオレンジ

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今の自分自身にも生活にも映画は絶対欠かせないものですが、その“映画”に大惚れしたきっかけの作品の一つがこのスタンリー・キューブリック監督の『時計仕掛けのオレンジ』。初めて観たのは14歳とか15歳の時だったかな。交響曲第9番』『泥棒かささぎ』『雨に唄えばクラシック音楽にのせてコミカルに凄惨に描かれる暴力描写、近未来の美しいディストピア世界、アレックスたちのナッドサッド語...暴力というアイディンティティを持つアレックスに、正直その時どう作用されたのかは自分のことですが今でもよく分かりません。ただこの作品以上に五感全部で惹かれるような映画は無い気がしたので、10選にチョイス。

『時計仕掛けのオレンジ』が公開されたあと、登場人物たちを真似てか様々な事件も起こったし、監督のもとには脅迫状も送られてきたそうですね。でもそのあとにキューブリックが放った言葉「芸術家は、芸術にだけ責任を持てばいい。」この言葉もひっくるめて、“名刺代わりの映画”でもあり“オールタイムベスト”はやっぱりこの作品だなあ。

 

2.エンドレス・ポエトリー

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つい最近観たばかりのアレハンドロ・ホドロフスキー監督作『エンドレス・ポエトリー

 御年もう90歳...?のホドロフスキー監督の魂の叙情伝を“名刺代わりの映画”に入れちゃうなんてのはものすごくおこがましいことだと思うのですが(それはどの作品にも言えるか)。でも『エンドレス・ポエトリー』は数ある人生が前向きになれるような、気持ちを奮い立たせられるような映画の中で一番個人的な感情に突き刺さった作品です。自分が観たタイミングがちょうどよかった、ということもあります。

これからいままで生きてきた人生よりもっともっと長い時間を生きていく中で、全ての瞬間を受け入れて、肯定して、そして台詞にもあるように“背水の陣”で突き進んでいこうと決意させられました。

3.ファイト・クラブ

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この作品にどれだけの人が衝撃を受け、奮い立たせられたことでしょう。私もその1人です。

「まず最初に頼みがある。俺を思いっきり殴ってくれ」何度観てもあの台詞一つ一つにぞくっとさせられます。笑 感想を語る上で使い古されている言葉かもしれませんが、なんかこう...「やってやる!」ってなりますよね。笑 「生きるぞ!」って。笑 痛みから逃げないこと、自分自身と向き合うこと、成長する上での苦しみを恐れないこと、鏡に映る自分をいつか愛せるようになること。10代のうちに観ておいてよかったと思っています、本当に。“戦いに飛び込んでみること、自分自身の”この映画を観るたびに思わされる気持ちを忘れずに毎日を過ごしていきたい、と思います。

 

4.ベティ・ブルー 愛と激情の日々

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1年前だったら、この映画は“恋愛に影響したもの”としてチョイスしていたかもしれません。以前このブログで“ベティ・ブルーは恋愛映画ではないということがわかった”と書いたことがあります。今はこの作品もファイト・クラブ』と似たような映画として観ています。

小さい頃から、“小説家になりたい”という夢をこっそり抱いています。自分も物語を書きたいなあと。たまに短い物語や詩を書いていますがどれも後から読み返せば、「これ絶対もうすでに世の中に存在してるやんけ」と突っ込みたくなるようなものばかり。笑 『ベティ・ブルー』のゾルグも小説家になりたいという夢を持っていますが、なかなか行動に移そうとしません。そこに舞いおりるのがいわば『ファイト・クラブ』のタイラーのような存在、ベティ。彼女はゾルグに“小説家になる”という夢を定めさせて、そして彼の元をそっと去っていきます。ゾルグはベティという存在なしで歩んでいけるようになる。

 

ただやっぱりベティの燃えるような愛に惹かれるのも事実。笑 人間関係や愛情というのは、その人とその人“一対一”にしか理解できないような関係がもっとも固くて、美しいものなのかなと思わされたりもします。

でも自分はベティのようになりたくない!笑 これぐらいの恋愛感情を抱くことがあっても、ゾルグの立場でいたいなあ...笑 というわけでチョイス。

5.ビッグ・フィッシュ

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昔のホラー映画が好きなティム・バートン監督の作品は、『スウィーニー・トッド』や『エド・ウッド』『フランケンウィニー』など怪しくて美しいモノクロ映像も魅力だと思いますが、『ビッグ・フィッシュ』のこのお花畑のシーンの神々しさったら無いのでは無いでしょうか...

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いつもホラ話ばかりする父親とずっと確執があった主人公。しかし父親が病床に伏せてから、初めて自分が知らなかった彼の人生が浮き彫りになっていく...自身も父親と相容れなかった、決して幸福とは言えなかった幼少期を過ごしていたと語るティム・バートン監督の“父と子の和解、許し、愛”の物語です。

ファンタジックな世界観で可愛らしい映像だけれど、『ビッグ・フィッシュ』はじめティム・バートンの作品はとても“大人”だと思います。

今嫌いな人、愛せない人、否定したいこと、どうしても肯定できないこと...それを全部許して「ああ自分はこれをずっと憎んできたけれど、本当はそのことからも影響を受けていたんだ」と、そのことを受け入れて許す作品だから。それができるようになるまでどれくらいの時間がかかるんでしょう...でも全て“自分が今は会得していることなんだ”って思えた時、その瞬間を『ビッグ・フィッシュ』は描ききっているのではと思います。 また現実の世界と空想の世界を行き来しながら自分だけの幸せを見つけていけばいいんだよと、その経験がいつか大事な人を幸せにできるよなんていうことを教えられたような気がします。これからも何度も観返したい作品。

 

結局#名刺代わりの映画10選 散々考えたのですが9作品しか出てきませんでした。笑 半年後にはまた変わってるかも...笑 もっと考察したら自分のことも知れる気がします😂

 

Twitterのタグ#名刺代わりの映画10選 で自己分析記録パート①

最近Twitterのタグで #名刺代わりの映画10選というのをよくお見かけするので、私もやってみました。

 

9個ですね。笑 “自分の名刺代わり”って考えるとオールタイムベストとかおすすめ映画とも違うし、個人的な感情がいろいろ入っている作品を選ぶことになるので難しいし、ちょっと恥ずかしかった!w 今回は今の自分のことを自分で分析(笑)するために、なぜこれらの作品をチョイスしたか記録として書いてみようと思います。誰得だけど自分のブログだからいいよね!!!!!!!

(4作品のネタバレをちょこちょこ含みます。)

恋愛観/趣味、嗜好

1.『裏切りのサーカス

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いろんなSNSで「大好き!」と言いまくっている映画です。

まず単純に、英国紳士のおじさま達が集合しているので大好き♡ジョン・ハートコリン・ファース、ベネ様、そしてゲイリー・オールドマン....洗練された映像もポール・スミスが衣装提供したスーツも全て好みなので、“趣味(?)、嗜好”枠でチョイス。ただ単に“好み”“かっこいい”というだけでなく、恋愛観や人生観に影響を与えてくれた作品でもあります。

スパイという職業は人を騙し、家族にも自分の素性を語ることのできない職業。『裏切りのサーカス』原作者のジョン・ル・カレ御大はご自身がスパイだったということもあり、スマイリーシリーズはスパイ達の苦悩が繊細に描かれています。

決して派手ではなく、“静かさ”や“我慢強さ”といったもの(主人公スマイリーは華があるわけではない、すごく普通の“中年スパイ”として描かれています)が真の強みとなる、というところが共感というか好きな部分です。

あと渋いスパイ映画ですが、心に残るのはキャラクターたちの“愛”。ビル・ヘイドンとジム・ブリドー、リッキー・ターとイリーナ、スマイリーと妻のアン...原作小説でも濃く描かれているスパイ達の愛は、彼らの一番の弱みともなり、また彼らが自分自身を赦す唯一の手段でもあるんです。個人的にはスマイリーからアンへの気持ちが、やっぱり一番...(涙) どんな境遇にあっても“美徳”を守り、誠実な愛を貫くことができたら!という気持ちでこのタグの一作目は『裏切りのサーカス』。

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2.『奇跡の海

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ラース・ファン・トリアー監督の作品は...すごくパンチが強いですよね。笑 『アンチクライスト』や『ニンフォマニアック』などなど、主人公の女性が一般的に観て堕落の道をたどる作品が少なくないと思います。『奇跡の海』もまた1人の女性が悲劇的な運命に陥る話といえばそうなのですが、でもすごい映画だと思うの!笑

奇跡の海』主人公はエミリー・ワトソン演じるベスという女性。ベスはとてもおとなしい女性なのですが信仰深く、神様に祈りかける時の表情と声色は全く違う性格かと思うほど少し鬼気溢れるもの。エミリー・ワトソンの演技に圧倒されました。

この作品の大きなテーマの一つは“信仰”です。神様と愛する男性、自分にとってどちらの方が大事か?人を全身全霊をかけて愛するとはどういうことか?試練を乗り越えていった先に待ち受けているものは何か?ベスは悲劇的な結末に終わるのですが、それは果たして彼女からしたら“悲劇”なのか?(犠牲と犠牲“的”は全然違うことですしね。)

自分の恋愛観に大きな影響を与え、毒まじりの説得をさせられたような気分にさせられた作品なのでこれもチョイス。笑

3.『トゥルー・ロマンス

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誕生日にぼっち映画をしていたら、隣に現れたのは運命の女性。しかも自分と同じカンフー映画好き、千葉真一のモノマネを全力でやってくれる女の子!だけれど彼女はコールガール...それならポン引きをぶっ殺して、2人で逃げちゃおう!ゲイリー・オールドマンのブチ切れ演技、秒で殺されるサミュエル・L・ジャクソンなどまさに“映画オタクの、映画オタクによる、映画オタクのための”恋愛映画トゥルー・ロマンス』。笑 

“男女の逃避行映画”はどれもすごく心惹かれるものがあります。大好きな人と2人だけでどこまでもいけたらどんなにロマンチックでしょうか...現実には絶対できなくても!笑 

バイオレンスでエロくておしゃれ、好みがぎっしり詰まった『トゥルー・ロマンス』。つい最近観返していて、「何で今までこのポイントをどうこう思わなかったんだ?」というところに気がつきました。それはアラバマ「昔を振り返って喋っている」スタイルの作品ということ。意外と。「あの頃は「You're so cool!」って叫んで、どこまでも走っていったわ...」みたいな。青春時代の、ただただ「この人のことが大好き!」っていう激情が溢れている映画なのだな、と改めて。

 

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紫のキャデラックで走り出したい...

4.『シザーハンズ

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ティム・バートン監督、ジョニーデップ&ウィノナ・ライダー主演のラブストーリー『シザーハンズ』。

1人で静かなお城にいたのに、たまたま発見されてカラフルな世界に連れ出されてしまうエドワード・シザーハンズ

好きな子ができるけれど傷つけてしまうから、触れることもできない。

周りの人たちにだんだん溶け込めるようになるけれど、結局相容れなくて元の自分の城に引きこもっちゃうエドワード。

好きな人と一緒にいたいけど結局1人の方がいい、喋りたくない、1人にしてほしい...というのはとても共感できる部分です。自分の中にそういう性格がある。笑

ただ『シザーハンズ』のエドワードは、また1人になってもキムへの愛情を忘れずに、綺麗な氷の人形たちを次々と生み出します。悲しく終わってしまった恋愛も何か形に変えて、キムだけにしかわからない形でその愛を伝え続けるという姿勢がものすごく大好きだし、美しいことだと思います。これからどんな恋愛をしていくか分からないし、エドワードのように傷つけてしまうからとまた引きこもってしまうのは良くないけれども...笑 忘れたくない特別な一本。

 

映画も人間も皆1人ずつ違うので「この映画のこのキャラクター、マジで自分の性格にそっくり!」というのは見たことがありませんが、他の人と共有できる概念で自分を現わせる作品を探すのはとても面白いと思います。友達が考えてくれた方が、“名刺代わりの映画”私らしかったりして...笑 続きはまた次で分析してみよっと!

【旧作感想】台湾映画『百年恋歌』恋愛は不確かな中で歩み寄り続けること「Smoke Gets In Your Eyes」歌詞/和訳

 

久しぶりに「しばらく他の恋愛映画は観なくてもいいかな」という気分になる恋愛映画を観た気がします。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督による2005年の映画『百年恋歌』です。

 

(この記事は映画『百年恋歌』のネタバレを含みます。)

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『百年恋歌』は三つの話からなるオムニバス作品

第1話『恋愛の夢

舞台は1966年。兵役を控えた青年がビリヤード場で働く女の子に恋をするのですが、女の子はどうやらあちこちを転々としなければならないらしく...青年が女の子を追う形で展開される、ノスタルジックな恋物語です。

第2話『自由の夢』

今度の舞台は1911辛亥革命寸前の、世の中が動乱に満ちている時代です。今回は遊郭の芸妓と若い革命活動家のお話。2人は惹かれあっているのですが青年革命家は彼女を妾にしようとはせず、しかし芸妓の義妹はどんどん身請けの話が進んでいって...第2話はサイレントですが、芸妓が歌うシーンだけ歌声が流れます。

第3話『青春の夢』

最後の話は2005年。今度は惹かれ合う歌手の女の子とカメラマンの青年の話なのですが、青年にも彼女が、そして女の子にも同性の恋人が...孤独な現代の中で愛を求めてさまよう若者たちの物語でした。

 

面白いのは、すべての恋人たちを同じキャストで演じていること。女性役はスー・チー、男性役はチェン・チャン

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1911年、1966年、2005年と全く異なる時代での恋愛模様。もちろんそれぞれその姿は変わります。

携帯電話はないから、家の電話にかける。手紙を出す。若者たちが集うところはビリヤード場。惹かれ合うものもキスシーンなどはなく、初々しい甘酸っぱい気持ちで満たされる、そんな1966年代。

芸妓の彼女は彼のことを待つばかり。電話などの通信機器はもちろん無し。言葉も少なめ。(サイレントだし)1911年代。そして初めてベッドシーンも登場するのが2005年。携帯も普及し、簡単に連絡もとれるし会うことができる時代。ただ便利なこの時代に生きている2人の恋愛が、一番口の中に苦いものがこみ上げてくるように見えました。お互いに恋人がいるわけですし、バイクで疾走するシーンなどは孤独から刹那的に逃避しているようにも見えて...

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ただその中でも一つ、“手段(?)”は変わってもそれは“変わらないもの”として(超わかりにくくてごめんなさい)描かれていたもの。それは“言葉”です。あと、目に見える“文字”この百年のどの時代にも言葉があるのはそれはそうなのですが(笑)少しずつ形は変われど思いの丈を伝える“言葉たち”が印象的に描かれていたように思います。あと、音楽

1966年代、思いを伝えるのは“手紙”。青年は彼女に手紙を送り、だんだんと近づいていきます。そして何度も流れる往年の名曲、プラターズの『Smoke Gets In Your Eyes(煙が目にしみる)』アフロディティス・チャイルドの『Rain and Tears(雨と涙)』

1911年代では“字幕”が2人の気持ちを私たちに伝えてくれます。まんま目に見える“文字”ですね。笑 そしてサイレントですが、芸妓が歌を歌うところだけは音が聞こえます

2005年代では、女の子が歌手の役。彼女はカメラマンの男性のことを思って歌詞を綴り、そして曲を作ります。そして現代では“文字”はメールに。女の子の同性の恋人が彼女の浮気を思い、「死んでやる!」などとパソコンのノートにメッセージを残しているシーンがあるのですが...無機質な液晶の字体なのにどろっとした恋の恨みが伝わってきて、何とも言えない気持ちになった瞬間でした。

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そんな『百年恋歌』なのですが、私が一番好きだったのは第1話の『恋愛の夢』。

“恋愛ってなんだろう”というか“どういう感情や人間関係が恋愛であるのだろう”という疑問の正解はあるのかわかりませんが、個人的に一つ“不確かだからこそ、努力し続ける関係”であるのかな、と思います。自分の気持ちでさえよくわからないこともあるのにましてや他人の気持ちなんて全てわかるわけではないし、人間だからどんどん変化し続けていくし、今の時代は昔よりもたくさんの人と知り合えるからこそ“人間関係”がもろくなりやすいのはあると思います。いつかはどうなるか分からないけれども、違いが一緒に歩いていけるように努力し続けること。

どのお話の主人公たちもとても不安定です。第3話はお互い恋人がいる関係だし、第2話はお客と芸妓、妾にもなれない。第1話は兵役の青年と、あちこち移って生活しなければならない女の子。

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第1話は青年がどんどんどこかへ行ってしまう彼女のことを追って、それでやっと会うことができるんです。再会した2人はお互いに顔をほころばせるけど、なかなか話すことができない。それでも隣り合って一緒にご飯を食べる姿があまりにも初々しくて尊くて、なぜかここで泣きそうになりました。笑

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やっと会うことができたのに、明日の朝には青年は兵役に戻らなければならない。これから2人の関係はどうなるか分からないし、次いつ会えるかも分からない。本当に“不確か”なもの。でも最後雨の中で隣り合って手をつなぐシーンは、“恋愛は不確かなもの”でも“会えたその瞬間と、(冷たい雨の中でも)お互いの手のぬくもりは確かなもの”であると思わせてくれたとても美しいものでした。

 

ホウ・シャオシェン監督自身も若い頃は兵役に行っていて、そしてビリヤード場によく足を運んでいたのだとか。そこで流れていた曲が今作でも使われている『Smoke Gets In Your Eyes』なのだそうで。だから監督は青春時代の情景を作品に蘇らせたってことですね!素敵すぎる...

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この曲を聴くとあの時のあの場所を思い出すとか、あの人のことを思い出すとか...『百年恋歌』は“思い出の歌”が生まれる瞬間を見ることのできる映画であると思います。第1話はその瞬間を主人公2人と一緒に共有している感じがすごくして。第2話の神秘的な雰囲気、第3話の苦くて鈍痛が走るような物語も素敵だったんだけれど、第1話の青春の輝きは尊かった。まじで尊かった。笑

 

どこにいるのか、次はどこに行くのか、自分はどうしていきたいのか、そういった状況の中でももし互いに好きだと言える人ができて、関係が続くように努力していけたらそれは素敵な恋愛なんだろうな...

『Smoke Gets In Your Eyes』の歌詞が映画全体にぴったり(煙草の煙、というキーワードもあるし)でとても素敵だったので、最後に和訳を書いて終わりにします:)

 

『Smoke Gets In Your Eyes(煙が目にしみる)』

 The Platters

 

They asked me how I knew
My true love was true
Oh, I of course replied
Something here inside cannot be denied

They said someday you'll find
All who love are blind
Oh, when your heart's on fire
You must realize
Smoke gets in your eyes

So I chaffed them and I gaily laughed
To think they could doubt my love
Yet today my love has flown away
I am without my love

Now laughing friends deride
Tears I can not hide
Oh, so I smile and say
When a lovely flame dies
Smoke gets in your eyes

 

皆聞いてきたんだ
なぜこの恋が本物だとわかる?
もちろん僕はこう答えた
「心の中に感じるものを否定することはできないよ」

皆が言っている「いつか分かるよ」
恋をすると誰しも盲目になると
恋に燃え上っているときは
その煙で目が見えなくなっていることを
君も気付かなくちゃって

だから僕は皆をからかって陽気に笑い飛ばした
皆僕の恋を疑ってるんだね
でも今日この愛は去ってしまった

僕は愛を失ってしまった

友達は笑って僕をバカにするけど
僕は涙を隠せない

だから僕は微笑んで言うんだ
「愛の炎が消えるとね
その煙が目にしみるんだよ」

【ネタバレ有】映画『エンドレス・ポエトリー』感想 これから行き詰まることがあった時、絶対にこの作品を観返すと決めた

 

こんにちは!Moekaです。

11月18日、今年1番楽しみにしていた映画と言っても過言ではない作品を観に行ってきました。アレハンドロ・ホドロフスキー監督『エンドレス・ポエトリー』です。

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ホドロフスキーおじいちゃんの映画といえば「うおおおおお」といった映像(語彙力w)が魅力の一つだと思います。笑 ホーリー・マウンテンではあんなものこんなもの食べたり、動物がとんでもない扱いをされてたり、男女の裸も何回観たことか。『サンタ・サングレ 聖なる血』もなかなかグロテスクな表現が多かったですし...『エンドレス・ポエトリー』の前作である『リアリティのダンス』でも、「うわああああ!かけてる!かけてる!(観たことがある方はどのシーンか察してください...笑)」というシーンがありました。笑

それらの過激というか凄まじいと言うか芳醇な映像表現は、決してただただヤバいわけではなくメタファーなのですが...でも本当に刺激は強いので、「超おすすめ!」とすぐに言うのは少し憚られてしまいます。笑

 

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(『サンタ・サングレ』より)

 

ただ『リアリティのダンス』と『エンドレス・ポエトリー』は他作品と比べると(これは影像表現の度合いが低いとかそういうことではなく)“観やすく”なっているのではないかな?という印象です。(18禁なのでいろんなものがめちゃめちゃ出てきますけれども。笑) 『エンドレス・ポエトリー』は前作よりもいっそう色彩が濃く、ロマンティックで、力強く、そして泣ける映画でした。すごくゆるい言い方をすると“モチベーションアップ映画”だった!嘘じゃないよ!笑 “生きること”を肯定する、ホドロフスキー監督から私たちへのエールでした。

 

(この記事は映画『エンドレス・ポエトリー』のネタバレを含みます。)

 

まず簡単にあらすじを。

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舞台はアレハンドロの故郷、チリのトコピージャから離れ首都のサンティアゴへ。

相変わらす自分を支配しようとし、医者へなる道を強要してくる父との関係に悩んでいるアレハンドロ少年。そんな彼はある日、“詩”との出会いを果たします。その美しさに惹かれ詩人になることを決意するアレハンドロ。しかし父は許してくれるはずもなく...

「やだやだ!こんな家クソ!」と言い、アレハンドロは家を飛び出し、いとこの紹介で先駆的な考えを持つアーティストたちがたくさん住む家に移ります。(ここで登場するバレエダンサーの格好をした女の子がとても可愛いです。『サンタ・サングレ』にも登場する女の子もダンサーのような格好をしていたような...)詩人が来たと大歓迎を受け、今までにない至福を味わうアレハンドロ。彼は「詩人はみんなあのバーに集まるんだよ」と教えられたバーに行き、ステラと言う強烈な女性に出会います。

 

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とまあ、アレハンドロ・ホドロフスキーの過去が、詩的な影像によって語られて行くわけなのです。

詩という翼と出会った、恐れ知らずの少年期。

初めての恋、ミューズとの出会い、性の美しさに触れ、アーティストたちと芸術について語り合った青年期。

傾けた情熱から、満足の行くものが生まれなかった虚無感。

詩とはただ待っているだけではなく(詩人が集まるバーに集まっている人々は、みんな死人のようにうずくまっています)動くことだと実感した時の高揚感。

自分の道を進んでいっても、それでもしこりのように残り続ける父との確執。

 

生きるとは?創るとは?詩とはなんなのか?自分は何者なのか?散々苦しみ、もがき通した彼の姿が綴られてゆきます。

 

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いろいろ書いて、まとめてブログにしようと意気込んでいたのですが、もううまく書けません。笑 だってホドロフスキー監督が伝えるこの“生きること”のメッセージは、映画にぎゅっと凝縮されているので、陳腐な言葉に言い換えてしまうと高尚さが失われてしまう気がします。笑

でもすごい心に残った台詞は、「蝶はハエになれないんだ」という言葉。

 

これは詩人として尊敬していたニカノール・パラ(合ってるか不安)にアレハンドロが放った台詞です。彼は優れた詩人でしたが、普段は学校の教師として生計を立てていました。

「詩に身も心も捧げたい」というアレハンドロにパラは言います。

「今は人々は詩どころか、本も買わないじゃないか。君も勉強をして、私のように教師になる道が良いのだよ」

そこでアレハンドロは「蝶はハエになれません!」ときっぱり。(パラは「教師はハエじゃないよ...」と。笑 ) そして「自分は背水の陣を敷くんだ!」と言ってチリを飛び出し、パリへと旅立っていくのです。

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アレハンドロ青年は「自分は何者なんだ?」と何度も何度も問いかけます。でもそのたびに未来のアレハンドロが優しく諭します。「頭では分かっていないことも、心ではもう知っている」と。答えは全て自分の中にある、ということなのでしょうか。“自分は何者でもないけれど“自分自身”である”ということを強烈に考えさせられました。より高みにいくためには自分の仮面をとって、“自分自身”を磨かなければならないと。

 

そして、“終わりがない探索”だからこそ全ての瞬間が美しいということと、燃え尽きるまで必死に生きるからこそ“人生は詩のようである”ということ

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最後アレハンドロは故郷を離れ、単身パリへと旅立ちます。ラストの方に自分の悲しい思い出にそっと魔法をかけるような描写があるのですが、そこの“愛”に号泣。そして父親との思い出に“映画だからこその”浄化をするシーンにまた号泣。笑 下半期一番泣いた自信があります。笑

 

生きていても死んだような人間にならないためには?自分らしく生きること、いつか死ぬと分かっていても生きなければならない意味、そんなことを教えてくれる『エンドレス・ポエトリー』観る人全員に絶対に絶対に突き刺さります。他の映画で観ることのできない表現もあり、笑えるところもたくさんあり。私もこれから全くどうなるかわからない勉強の道を進もうとしているので、ああ頑張らなければと元気付けられました。観てよかった!ほんとに!

 

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【旧作振り返り】ロマン・ポランスキー作品『赤い航路』感想/考察 この“愛憎”にHPをかなり持ってかれた

こんにちは!Moekaです。

突然ですけれど、自分は“恋愛映画”は「好きだけど、苦手」な気持ちがあります。笑

きみに読む物語』とか、あとはなんだろう..(出てこない)とか本当に素敵!って思うんだけれども、なんかこの心にじわじわ出てくる「違うの!なんか足りないの!」感。笑 あと単純に自分の中のすさんでるところを浮き彫りにされるから、「やめて!」ってなるんですね。笑

なのでこの前、「あ、これは確実に毒になりそう...」と思った気持ちで手に取ったのがロマン・ポランスキー監督作品『赤い航路』

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今回は2017年振り返り旧作編という事で『赤い航路』について書きたいと思います。

少し前に観たのですが、まだめちゃくちゃ引きずってます。笑 2,3日しんどいの、この作品のせいもあるかもしれない...笑

その理由は、『赤い航路』はある男女の愛憎劇を描いている作品なのですが

それ以上に(私にとっては)“ものを書けない苦しみ”というものが

グサグサ突き刺さってくる内容だったから、と思います。

 

(この記事は映画『赤い航路』のネタバレを含みます。)

物語の舞台は地中海豪華グルーズ船。結婚7年目のイギリス人夫婦、ナイジェルとフィオナ(ナイジェル役は若かりし日のヒュー・グラント)も乗客のうちの一組です。

その船の中でナイジェルは、車椅子のアメリカ人作家オスカーとその妻のミミに出会います。

オスカーはそれからナイジェルに、妻のミミとの出会いと波乱にとんだ恋愛、赤裸々な性生活などを(頼んでもいないのに(笑))語ってくるんですね。はじめは嫌がっていたナイジェルもその刺激的な内容に取り憑かれ始め、自分の妻との関係についても疑問を持つようになっていきます。

結末を書くと、オスカーは最後ミミを殺し、自分もその銃で自殺して幕を閉じます。

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このオスカーとミミの恋愛模様がまあすごくて。

  • バスの中でロマンチックな出会いをして、そのあと再開して、燃えるような恋に落ちる。
  • オスカー(彼は親の遺産で暮らしながら売れない小説を書いているんですが)は執筆活動よりも、ミミとの情事にふけってばかり。(そんなように描かれています。)
  • しかし2人はだんだんSMプレイにのめり込んでいく。(この時はミミがSで、オスカーがM側)
  • そのあとだんだんと2人はすれ違っていき、オスカーはミミを突き放すが、ミミは「あなたとさえ一緒にいれればいいの!」と泣きつき、オスカーはそれからミミにひどい事をたくさんします。他の女性と関係を持ったり、料理を作ったミミにひどい言葉を浴びせたり、挙げ句の果てには自分だけ飛行機を降りて、ミミをどっかにやらせたり...
  • そのあと事故に遭い、半身不随になるオスカーおじさん。
  • オスカーの元に再び現れたミミは、仕返しとばかりにオスカーにいろんな仕打ちをします。(どでかいろうそくを立てただけのケーキをあげたり、めっちゃ雑にシャンプーしたり、ここがなかなか笑えます。笑) それでもなんだかんだオスカーの世話をちゃんとするミミ。

そのあと2人は、「こんな憎しみあえる相手もなかなかいないやろ」ということになり、結婚。そしてクルーズ船に乗っているところで、ナイジェル達と出会う...という感じです。

 

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簡単な感想を書くと、ドSの人はドMにもなれるというか、ドMの人はドSにもなれるというか...笑 でもオスカーが言っていた通り、あれだけ憎しみあえるってことの裏返しは本当に“愛している人”なのかなあと思ったり。とりあえずSM描写(肉体とかだけじゃなく、精神的描写も含めて)『フィフティ・シェ◯ズ』なんか目じゃないぜ!

 

 

冗談はさておき、ただこの監督はロマン・ポランスキー「ただの男女の愛憎劇」じゃないだろうなってことは思うのです。

このアメリカ人小説家、オスカーはポランスキー自身とすごく似ていると思います。

オスカーはアメリカ人ですが、フランスのパリに拠点を置いている。ポランスキーポーランド人(フランスと二重国籍みたいです)でハリウッドで前は活動していたものの、1977年の強姦事件(彼は無実を主張しています)後はアメリカを捨て、ロンドン、パリに移住します。

途中でミミに「あんた英語もろくにできないから売れないんじゃないの?」とかオスカーが言われるシーンがあるのですが、何というかポランスキーのアメリカに対する怨念みたいなものがちらほら... 

 

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作家と突然現れた美しい女の子。この話はちょっと聞き覚えがありますよね、フランス映画の『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』です。『赤い航路』も、『ベティ・ブルー』とある種では似ている話だとは思います。

 

『ベティ・ブルー』では、ベティによってゾルグは“作家としての自分”をちゃんと見つけ出して生きていけるようになりました。ベティはゾルグの“クリエイターとしての化身”であったと思います。だから最後、“作家として”生きていこうと思ったから、必要のなくなったベティという人格はいなくなった。ラストシーンは猫ちゃんが見守っていますしね。

 

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『赤い航路』でも売れない作家オスカーの前に“ミューズ”ミミが登場します。しかし、オスカーは全く書くことができない。書いても売れない。

それでも、彼にとって創造欲をかき立てるであろうミミはオスカーの元から消えてくれない。他の女性と遊んでみたり、創作活動から離れてみても、最終的にミミは自分の前に現れる。憎んでも憎んでも、自分のそばにいるのはミミ。ミミは作品を生み出したいと願う、オスカー自身の姿であったかもしれません

 

何かを残したい気持ちがあるのに、書いた作品は売れない。執筆を嫌いになろうとしても、小説の呪いはどこまでもつきまとう。“創造欲”から逃れることのできない...

だからその苦しみを思うと、最後ミミを殺して、自分も命を絶つってなんだか納得できます。

文章に悩まされることはなくなっても、でも書けなくなったら、生きている意味がないと思うはず。それは死にたくなると思う。笑

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(ダンスシーン、セクシーなんだけど謎だった)

 

生きるのに不可欠、自分に不可欠だけれど、同時に首を締め心に闇をもたらす自らの“創造欲”との戦い... 『ベティ・ブルー』は静かで落ち着く、“青色”が基調でしたけれど『赤い航路』はタイトルにもあるように血のような“赤色”。思った以上にどろっどろでした、男女の愛憎劇とかそういうのを抜きにしても。

 

実はこの作品、ティム・バートン監督が“オールタイムベスト”の一つとして『ゴジラ』とかに混じって挙げているようなんです。この苦しみに、バートン監督も共感するところがあったのかしら、なんて。

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ポランスキー監督の人生やいろいろな事件のことを考えるともっともっと考察できると思うのですが、(ミミを演じたのは監督の妻のエマニュエル・セニエだし)今回はちょっともやもやを吐き出したかったのでこの辺で。笑

何というか、“ものを書く”というのは尋常じゃないエネルギーを使うものですが、しっかり生きていきたいものです...(ため息)

【ネタバレ考察】映画『ザ・サークル』〜これからしばらくトム・ハンクスが信じられない〜

こんにちは!Moekaです。

 

今日はトム・ハンクスエマ・ワトソンが共演したサスペンス映画

ザ・サークルについて書きたいと思います。

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こういうSNSを扱ったサスペンスは、ホラー映画より怖いです...笑 記事では「え、結局最後も怖くね?汗」と思った理由について、書いていきたいと思います。笑

(この記事は映画『ザ・サークル』のネタバレを含みます。)

 

ザ・サークル』あらすじ

主人公のメイ(エマ・ワトソン)は、派遣会社で働くごく普通の女の子。しかしお父さんは病気を抱えており、家族のためにもなんとかして今の状況を打破しなきゃ...という思いに駆られています。

そんなある日メイは、超巨大SNS企業“サークル”に入社する事が決定!超綺麗な会社、画期的なシステムを誇るサークルでレベルアップするために、新入社員ながら大奮闘。メイもサークルが大好きな“シェアの文化(笑)”“繋がりを持つ大切さ(笑)”みたいなものにどんどん染まっていきます。

しかしある日メイは、友人以上にはならない幼馴染のマーサー(エラー・コルトレーン)が作った“鹿の角のシャンデリア”をSNSにアップしてしまい、マーサーを“鹿殺し”という、誹謗中傷の的にしてしまいます。(マーサーは殺してなんかいないのに!)

それからちょっと事件がありまして、メイはサークルの創始者ベイリー(トム・ハンクス)の目に止まり、新サービス“シーチェンジ”のモデルに抜擢されます。それは、超小型カメラにより“24時間自分の姿を晒す”事ができるというシステム。サークルは“隠すことは悪!秘密は悪!透明化こそ最高!”みたいなのを理念に掲げているんですね。

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メイはこのシーチェンジによりあっという間にたくさんのフォロワーを世界中に持つことなり、“歴史に名を残す存在!”みたいな感じで大人気に。しかし家族とも疎遠になり、サークルを紹介してくれた友達のアニー(カレン・ギラン)との間にも確執が生まれてしまいます。

そしてそんな生活がちょっと経った頃、メイは新たに開発されたサービス“ソウルサーチ”の公開実験をサークル職員の前で挑むことになります。これは、世界中に仕掛けてある監視カメラを利用して、どんな人物でも約20分以内に見つける事ができる...というもの。(怖すぎだろ)

最初は子供を殺した女性を瞬時に探し出す事ができ、まあ成功。でもその次誰を探すか、ということになりサークル職員は「マーサーを探して!」っていうんですね。彼は悪人ではないし、こんな形で探したくはないとメイは拒むんですが、ベイリーたちに逆らえず彼を探すことになります。しかしすぐに見つかったマーサーは追っ手たちから逃げている途中、車で事故を起こして死んでしまうという悲劇が起こります。

落胆したメイはサークルが、様々な裏取引(みたいなの)をやっていることを知ります。メイはサークル職員たちの前でベイリーと右腕に“シーチェンジ”をつけることを強要、彼らのメールなどを晒し、サークルの闇を暴いたところで物語は終了...という話なのですが。

怖くならなかったら、やばいかも?

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個人的に、このラストを「サークルの裏も暴いたし、まあよかったんじゃない?」って思ってしまったらそれはもうSNSに侵食されている証拠”なんじゃないかな...?と思っています。だって、“サークルという会社の問題は解決したけれど、根本的な問題は解決されていないから”

 

メイはマーサーが死んでしまってひどく落胆します。シーチェンジをはずし、実家に帰って休養するのですが、携帯を見て「メイ、大丈夫?」「あなたのせいじゃないわ!」っていうフォロワーからの励ましの言葉を見てちょっと安心するんですね。

それでこんなことを言います。「マーサーとちゃんともっと繋がっていたら...あのような目に合うこともなかっただろうし、彼は死ななかったはずだわ」

「私には世界中に友達がいるし、大丈夫よ」

「人と人が繋がりあう、サークルは新しいステップにいくのよ!」

 

 

 

...怖くないですか?笑

まずそもそも、“顔と顔を合わせたことのない人は友達なのか。”

マーサーと疎遠になってしまったのは、もちろん“それまで連絡を取らなかった=繋がっていなかった”というのはあるけれど

メイが鹿の角事件のあと、ちゃんと彼に会いに行き、心を込めて謝罪しなかったから。(マーサーは電話やメールではなく顔を合わせて話すことを好む描写が冒頭からありました) その“つながる手段”を、またSNSに求めようとしている

結局、“SNS”を最後まで手放すことをやめないんですね。起こった問題も全部それらで解決しようとしていく。両親が「もうサークルには戻らないで」と言っても、それも聞かずに...

 

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フォローとかフォロワーとか、直接会ったこともないのに、“友達”なんて言えないじゃないですか。電話やメールもいいけれど、ちゃんと会いに行って大事な人たちと時間を過ごすって大事じゃないですか。私は別にSNSに侵食されてない!これを使って新しいコミュニケーション方法を築いていくのよ!っていう感じのメイのラストにとっても恐ろしくなりました...

 

カヤックのシーン”がキーワード

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この映画でポイントとなっているシーンは、“メイがカヤックに乗っているところ”かと思います。

映画の冒頭でもメイは1人でカヤックに乗っています。何もない川でただカヤックを漕いで、自由の時間。途中で携帯が鳴りますが、ちらっと確認してまたポケットに戻します。

このカヤックのシーンは、“たくさんの人の情報が流れ込んでくる、コミュニケーションをとるSNSなどのメディアから離れて、自分だけの時間を過ごす”という意味の役割を果たしているのだと思うのですが。しかしラスト、カヤックに乗っているメイの頭上にドローンがやってきます。それに対し、「ハーイ」と微笑みかけるメイ...

1人の時間も誰かに見られている、誰かと繋がっているという。それでカメラはズームアウトし、世界中の人々の様々な瞬間をたくさん映し出して終わります。「この瞬間も誰かに監視されているかもよ?」といったメッセージを含んでいるみたいに。

 

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1人だけの時間を過ごしたいと言っても、今は携帯がありますし、SNSがあります。家に1人でいてもTwitterを開けば、そこにはあらゆる人の情報が流れています。昔と違い誰かと簡単に繋がれる今、同時に人間関係はどんどん脆いものになっているんだろうなと改めて思わされました。

SNSに助けられる(すぐに情報をゲットできる、好きな俳優さんやアーティストのことを知ることができる、海外に住んでいる友達と連絡が取れる)こともたくさんありますが、当たり前ですが“節度”は大切ですね。映画『ザ・サークル』は“人と人がたくさんつながることはいいこと!”というのをメイに“いや、それ違くない?”と思わせることをせず、曖昧に終えていましたが、警鐘は胸に響きました...

 

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そういえば、このサークルのCEOを演じたのがトム・ハンクス。ぱっと見カリスマの“先進的な考えを持ついい人”に見えるんですけど、その“いい人加減”が超怖い!笑 あのトム・ハンクスなのに!笑 今までの人道的な役が吹っ飛ぶほど「やだこのおじさん」と思いました。笑 すごい。笑

 

とまあこうやって“SNSに気をつけなきゃ”“SNSは全てじゃない”と思うし、書いているわけなのですが、それでも1日にTwitterやFilmarksとかは何回も見るし。自分では気づいていないところで、もっと依存しているのかも...気をつけよう。