Bande à pierrot

ティム・バートン、テネシー・ウィリアムズ、アレハンドロ・ホドロフスキー。

【日記】恋愛についてちょっと考えてみようかと

先日友人と「例えば全くその意味を持たない言葉でも、話している2人の間では別の意味を持つことがあるかもしれないよね」という話をした。つまり、何気ない「おはようございます」という言葉でも、場合によっては「愛している」という意味を持つかもしれない、ということ。確かに「殺してやりたい」なんていう物騒な言葉でも実は裏には「愛してる」という意味が隠れていることは、映画や小説でよくある。

 

おとといぐらいに久しぶりにラブコメディを観た。個人的にコメディもミュージカルも比較的に苦手なのだが、ジャック・ニコルソンが出演しているということで前から気になっていたラブコメディだった。タイトルは『恋愛小説家(1997)』。

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これは恋愛小説はかけるものの実生活では愛も人情も知らない(しかも極度の潔癖)偏屈な男が、隣人でゲイの画家や行きつけの店のウエイトレスの女性と交流するうちに人並みの愛情を知っていくという物語だ。

主人公とヘレン・ハント演じるヒロインが少し洒落たレストランに出かけるシーンがある。ドレスアップしているヒロイン。主人公は内心素敵だと思いつつ、いつものへそ曲がりな性格が災いして「女はネグリジェみたいなの着ている」だの可愛くない台詞を吐いてしまう。それに対してヒロインは「ひどいわ!ほら、私を喜ばせる台詞を言いなさいよ」と主人公に迫ってみせる。

そうするとニコルソン演じる主人公はこう言うのだ。

「いい人になりたいと思ったよ」

 

 

恋愛映画は「愛している」という言葉を様々な言葉で言い換えたり表現したりしているものだと思う。「好きだ」とすぐ言ってしまってはそこで終わっちゃうし。笑 『恋愛小説家』を観て、一対一でお互いの概念を共有しあったり自分の人格を知ってもらううちに、2人だけの“言語”が成立していくというのは良いものだなあと改めて思った。

 

周りくどく前置きしたものの、今日は2017年最後の日。何かしら文章を書きたいと思ったんだけれど最近は新作の映画を観ていない。だから今回も(最近こういうブログが多いけれど)記録のつもりで恋愛のことでも書いてみようと思ってる。笑 

 

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恋愛の形はどうであるとか愛情は何であるとかその完璧な答えを知っている人なんているんだろうか。「いろんな形があって人それぞれだよ」確かに「人による」というのは間違っていないと思うけれども、それじゃ議論は進まない。笑 

私だって正解はわからないけれど22歳の今、ちょっとばかりはわかったことがある(と思っている)。一つは恋愛は人に言うことでもない、愛情は男と女の間にだけ芽生えるものじゃないから彼氏や彼女なんていう名称もきっといらない、ただ2人が2人にしかわからない関係でいればいい、と言うこと。

たまに記事で「こんな彼氏はどうすればいいのか」「こんなことができない彼女はダメ」なんて言うのを見かける。2人が2人だけで納得していればいいのに、何も知らない第3者の意見が介入してしまっては、その世界は壊れてしまう。誰のために恋愛しているわけじゃないのに。

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あとはいろいろと不確かなことが多い中で、確かであり続けるようにお互いに努力すること。目に見えないもの(それが愛なのか?)を信じること。サンタさんがいるかいないかわからなくてもクリスマスにはサンタさんがいると言うように、信じること。そっちの方が絶対に幸せなのだと思う。変わっていく中でその人と自分を信じ続けること。

 

あとは何だろう。理解できていたことを白紙に戻すことか。理解することをあえてしないという選択をすることなのか。できるかできないかと言うことと選択肢がある状態で、それを選ぶか選ばないかということは違うから。それは恋愛だけじゃなくて、大人になるという途中でこういうことをするというのはあるものなのか。

 

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「苦痛のない愛はないが愛のない人生は無だ」とかそんな台詞、聞いたことがある。映画のラブストーリーのような恋愛はそうそうないだろうが、ラブストーリー以外のような恋愛はあるかもしれない。自分以上に自分のことを知っている人に出会えるかもしれない。何からしくなろうとしなくても、その人と会話することでより自分になれる、そんな人にも出会うかもしれない。免許を持っていても免許を捨てたくなるような人に出会うかもしれない。笑 来年の今頃か再来年の今頃、もう一回このブログを読み直そう...2017年、毎年通り映画と本にたくさんの愛情と時間をつぎ込んだ私は、恋愛に関してはこんなこと思っていたんだよって。笑

【日記】出発を控えて / 私がアメリカ留学を決めた理由

 

後2週間もしないうちにアメリカへ留学に行く。

アメリカに留学するよと1年前の自分に言ったらなんと言うだろう?「え、そうなの?」とびっくりするだろうし、「今までも散々悩んでたんだから、もっと早く行けばよかったじゃん」とちょっと呆れるかもしれない。「webのライターのお仕事も離れたよ」と言ったらもっとびっくりするだろうし、「なんでなんで?」ともっと聞かれそうな気がする。

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留学を決めたのは今年の8月ぐらいのことで、それから今思えばあっという間だったけれど8〜10月ぐらいまではとても長く感じた。早くどこかへ行きたくてたまらなかった。6月と7月に少しの期間アメリカへ行って過ごして、そこで学んだことは今までの中で一番と言ってもいいほどとても多くて、自分の中で考えたことも多かったし、大きかった。夏がなかったら留学は決めなかったと思う。時間が差し迫ってきた今、これからの留学のことを考えると楽しみな反面正直怖くて怖くて仕方がない。

 

私はアメリカの2年制大学、ロサンゼルスのコミュニティカレッジに映画を勉強しに行く。映画の撮影の方法から映画史、脚本だって学ぶ。演技のことも学ぶかもしれない。それ以外にも選択して哲学やら何やらも学んでいくかもしれない。

 

留学しないという道を選択したらどうだったか?そのことについても散々考えた。今までのようにライターを続けて、前よりも読みやすく記事を書けるようにはなっていっただろう。いろいろなプレミアへ取材へ行くこともあっただろう。もっと時間が経てば、取材へ赴くこともあっただろう。日本で知り合うことのできた様々な人と、何か一緒にやることもあったかもしれない。もっともっとお金が貯まって大人になって...日本で結婚をするかもしれなくて?いや、それでも絶対いつか、海外へ行く道を自分は選んだんじゃないかと思う。

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もっとこれをやればよかったと思うこともある。例えば、文字ではなく音声で、映画の紹介や考察を話すラジオもどきみたいなのをやってみたりだとか。ZINEを作ってみたりだとか。もう直ぐ留学に行くからとやめるのではなく、どうであれ動き出してみればよかったんじゃないかと。それでも、周りの評価がどうだったとして、自分にとってそれが“今までやってきたこと、発信してきたことの形を変えただけ”という結論になってしまうのは、よく分かっている。それは私には知識の土台がないからだ。

 

映画に関わるお仕事をしていくのは(どんな仕事もそうだけれども)とても難しいと思っている。

映画が好きだ。じゃあ映画界に対してどのような貢献をしたいのか?今の映画界に対してどのように思っているのか?映画を本当に愛しているならどのようなことがしたいのか?映画を使って、社会にどのようなメッセージを送る人間になりたいのか?映画を使って、人にどのようなポジティブな作用を与える人になりたいのか?これに関して、自分はまだ明確な答えを持っていない。どちらかといえば、“人に、社会に”というよりも“自分はこういう研究をしたい”“自分はこんなことを知りたい”“こんなものを作ってみたい”そういった“自分のために、どうこうする”というわがままな気持ちが強い。

 

映画に関して文章に関してど素人だけれど、精一杯の気持ちで映画を紹介するお仕事をしてきた。どんな記事を書いたら楽しんでもらえるかと考えてきた。でももうそれをやめよう、次のステップに行こうと思って留学に行くことを決めた。生意気かもしれないけれど、“楽しいこと、面白いこと”以上に“ためになること”を発信できる人になりたいと思った。毎日毎日流れていくニュースではなく、これから先も残り続ける“考え”を書く人になりたいと思った。今の自分はまだ吸収する側で、“ためになること”を発信するなんて、到底無理だった。

 

留学に行ってみてどうなるだろう?日本人がいない環境に1人飛び込んでみてどうなるだろう?全く分からない。自分が全く使い物にならないと分かる瞬間があるかもしれない。映画界にとって必要のない人間だと思わされる時がくるかもしれない。素晴らしい映画評論や考察なんてできっこないかもしれない。脚本なんて書けないかもしれない。自分は全く特別な人間じゃないと思わされるかもしれない。日本に帰ってきて、またライターに戻るかもしれない。何を学んだんだろう?と自問する時がくるかもしれない。こんなに好きな映画を好きではなくなることがあるかもしれない。

 

でも、それはまだ分からないことだ。誰も知らないことだし、自分の中にも答えがないことだ。それで悩むのはもちろん馬鹿げている。分からないから、だからこそ、リスクを自分から背負いたい。自分は絶対に愛を持って映画界に貢献する人間になるんだと、大きな声で今言い聞かせたい。さぼらない。手を抜かない。妥協しない。恐れない。学ぶことを忘れない。少しくじけたらやめてしまいそうになるこれらのことを、絶対にしないと、自分に課したい。そうじゃなきゃ日本を出る意味がないから。

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自分が日本を離れる間、web媒体もどんどん変わるだろうし、映画界も変化するだろう。アメリカから歯ぎしりしたくなるほど悔しい思いをするかもしれない。それでも、絶対にいつか、今考えつかないような大きなものを生むために、頑張り続ける。気持ちが弱くなったら今書いたこのブログを見返そうと思う。

 

ブログを始めたことは自分の中で、「やってよかった!」と今年大きく思ったことの一つ。Twitterで毎日映画のことを発信したのも、小さいかもしれないけど続けてよかったうちの一つ。ライターをしていた時から知ってくださっている方もコメントをくださる方もいて、「こんな私に...」と嬉しい気持ちでいっぱいだった。これからも映画のこと、それから留学のことも書いていくつもりでいるので、応援してくださると本当に嬉しいです。もっと面白い記事を書けるように、より読む価値のある記事を書けるライターになれるように精進してまいります。

 

 

まだもうちょっといるけどバイバイ日本。あ、かたっくるしくなっちゃったけど最後にアメリカで密かに願ってること。町山智浩さんにお会いしたい!笑 

 

 

【日記】映画はすべて自分のためになるか / ためにならない映画はあるか

映画でも本でもそれから洋服でも、“選ぶこと”が大事だと思っている。

 

先日友人と話していて、「ためにならない映画や本はあるか」という話題になった。私は「ためにならない映画はある」と答えた。「ためになるとは言えない映画もある。」

いや、どんな作品を観ても何かしら学ぶことはあると思う。例えば“ああ、本当に好きな人には強がらないできちんと思いを伝えた方がいいのね”とか(マリオン・コティヤール主演の『世界一不運で幸せな私』を観たときに思った気がする)“手放すことも1つの思いやりと愛情なのね”とか(ティム・バートンの『コープス・ブライド』を観たときにそう思った)。きっと自分のためになることはある、はずだ。

 

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ただそれでもすべての映画が良作というわけではない。ストーリーが面白くても映像が映画全体のメッセージを伝えるために、ちゃんと作用していないこともあると思う。リアルに描かなければいけないのに、全くリアリティがなかったりだとか、大まかなあらすじはちゃんとしているのに細かい部分が全然分からなかったりとか。お金ばっかりかかってる印象はあるけれど、ストーリーの緩急に全く乗れないだとか。笑  だから「この作品のここがダメだった」「ここはもっと改善すべき点だ」と、映画を向上させるため、良し悪しを伝えるために批評家や評論家の方がいる

 

それに、全く違う映画でも同じようなことを描いている作品はもちろん多いと思う。

自分の夢のために今までの場所を出発する話。

禁じられた環境の中で本物の愛を見つけようとする話。

血が繋がっていようと繋がってまいと、強い絆で結ばれた家族の話。

だから「今自分はこういう気分だから、その答えが欲しい」「人生哲学に触れたい」「恋愛で悩んでいるから大人の恋が知りたい」そのようなことを思って“自分にとってためになる映画を観たい!”と思い手にとる時は、数ある中から吟味することが大切だと思うのだ。そのメッセージが映画というツールならではこそ心に迫ってくるものが良い。ふと選んだものが自分の考え方を左右するような、そんな出会いもあるから面白いのだけれど。

 

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また観た映画すべてが“自分のためになった!”というのも、少し問題なんじゃないか...と個人的に思っている。笑

だって作り手さんは違うわけだし、皆が同じ考え方ではない。その人が描く恋愛模様、正義のあり方、悪のあり方、夢の追い方、それぞれ違うわけだから「この映画はここが面白かった。でも自分はこの考えがあるから、主人公の行動には共感できない」という理由を持つことが大切なのではないかと。だから本数をたくさん観るよりもしっかりと選び、そこから“この作品のどこが好きなのか”“どこに一番感情移入するのか”“なぜこの部分が気にくわないのか”と分析することが、自我を育てより自分自身に迫ることに“ためになる”のではないかと思う。 自分にとって、“普遍的だと思えるもの”を選ぶことが重要なんじゃないのかなあ。

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お洋服なんかも一緒だ。何着も何着も持っているより、その服が安くても高くても“自分にぴったりと合っていて、長く着ることができて、それに変わらない好きなスタイル”を見つけることが大事だと思う。自分らしくいるためには、変わらない自分自身を見つけるためには中から吸収するものも自分を印象付けてくれる衣服も“よく選ぶこと”。 “どんなものからも学ぶ姿勢で、自分にとって大切なものを探す”そんな気持ちでこれからも映画を手にとっていきたいと思う。

 

【記録】2017年映画ベスト10 / 選んだ理由と各作品の感想・考察

今年もこの季節がやってきました!!!#2017年映画ベスト を決める季節が!!!

 

 

 

 

2016年、2017年の公開ラインナップを観て大興奮でした、何より大好きなアレハンドロ・ホドロフスキー監督とジム・ジャームッシュ監督の新作が映画館で観れるとあったので。人気シリーズの新作(ワイスピとかパイカリとか)の最新作も公開されましたし、年度始めは『ラ・ラ・ランド』旋風が巻き起こっていた記憶があります。

というわけで今回は、2017年映画ベスト10なぜその作品を選んだのか、自分の記録として記しておきたいと思います。あくまで個人的な趣味嗜好、タイプ、性癖(笑)が含まれたものですけれど。笑 共感してくださる方がいたらとても嬉しい♡

 

(この記事は各作品のネタバレを含みます。)

 

1. エンドレス・ポエトリー

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個人的2017年年間ベスト1はアレハンドロ・ホドロフスキー監督の『エンドレス・ポエトリー。極彩色の映像の中で90歳手前のホドロフスキーおじいちゃんが語る人生賛歌。今この瞬間を、マイナスのこともプラスのことも全て肯定して良いのだと。何があるかわからないけれど、「何者かになりたい」そう思う時は背水の陣をしいてでも、前に進まなければならないのだと。強く背中を押してくれる作品で、ラストには涙が止まりませんでした。

自分は来年度からアメリカに映画を学びに勉強するので、恐れ多くもフランスに身一つで旅立つホドロフスキー青年に感情移入した、勇気付けられたというのがベスト1に選んだ理由の1つです。「絶対に死に物狂いで学んで帰ってこよう」と改めて思わせられました。今この瞬間でなくても、人生哲学に大きく影響させられる作品でした。それは様々な分野に精通し、4倍もの年月を生きている芸術家ホドロフスキー監督からのメッセージだったということもとても大きいです。

タイトル『エンドレス・ポエトリー』。物語はそこで終わるけれど、詩はその瞬間を切り取ったもの。人生の大切な瞬間を見つけながら、美しいものを創造できるように生き、どの瞬間を全力で生き、愛していきたい。ホドロフスキー様長生きして!!!

 

2.『ノクターナル・アニマルズ

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トム・フォード監督作品第二作目『ノクターナル・アニマルズ最高でした。オープニングから度肝を抜かれ、途中は目を背けたくなるほどの恐ろしい気分になり、それでもなお美しい世界に恍惚とさせられる。観終わった後は席から立つことができない。それがこの映画です。

様々な解釈がある『ノクターナル・アニマルズ』ですが、私は“創造することへの葛藤の物語”と考えています。小説家、ファッションデザイナー、いわゆるクリエイターや芸術家と言われる方々でしょうか。彼らが何かを創造する上での葛藤が描かれていたと思うのです。

「自分は何かを作り出せる」と信じている自分。「いや、将来性もないしきっと芸術家にはなれない」と思っている自分。芸術家に内在する2人の人格をスーザンとエドワードというキャラクターに投影していたと思うのです。エドワードは最後の最後まで現実世界には登場しませんし、スーザンが忘れっぽいところや今の旦那が途中から登場しないところ、スタッフがかつてスーザンが結婚していたことを知らないことなど細かい疑問がとても浮かび上がってくるのです。(愛か憎しみか?の物語として考えると。)

でもとにかく...トム・フォードの美的センスに、自分の過去や過ちを内省させるような内容に、思い出したくもない過去を思い出させるような荒療治的なシーンに(笑)しっかりしびれてしまいました。もう一度観たいです。

ブレードランナー2049 

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人間は何をもって人間というのか?自分は何をもって自分だと言えるのか?他者の存在があってこそか?心があるからか、どうか?血が通っているから?生きるとはどういうことなのか?人生の中で問いかけ続ける終わりのない疑問。それをドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の圧倒的な世界観の中で描き切った『ブレードランナー 2049

“自分は特別ではないんだ”そんな絶望を感じた後に人のために行動したKの姿は何よりも美しく、涙させられました。“生きるとは何か?”私たちはこのブレランの世界にいるわけじゃないけれど、人間として命を全うするためには今日からどうしていけばいいのか考えさせてくれた作品。衣装も豪華な俳優陣の方々も新型レプリカントも全て格好良くて、個人的にもどタイプ。何度も何度も観返したい作品の一つになりました。

メッセージ 

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これまたヴィルヌーヴ監督作品。大好きヴィルヌーヴ!笑 言語学の話が最初から最後まで面白くて、知的好奇心を大いに刺激されました。私がこの映画を観て考えたのは、「ルイーズは彼ら宇宙人の言語を読み解いていくうちに何が変わったのか」ということ。

使う言語によって考え方が変わる、という話は映画でも説明されていました。宇宙人たちの概念は私たちとは違います。“時間は流れるものではなく、過去も現在も未来も同じ平面上にある”というもの。“時間”について考えるとまたそれはすごく長くなってしまうのですが...その彼らの考え方を受けてルイーズはどう変化したか?彼女は“結果に注目するのではなく、結果に至るまでの過程やその原因”に重きを置くようになりました。その結果の根本的な意味に。

実際にはあの宇宙人たちは今はやってこないと思いますが...笑 私はこの考え方にとても共感したし、物事の本質的な意味を探り続けてこそ、“生きる”ということではないのかなと思わされました。

ウィッチ

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何と美しい映画なんでしょう。

グリム童話を彷彿とさせる、次々と現れる怪しげな登場人物たち。悪夢か現実か見境いのつかない世界観。アーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』の台詞を1人で言ってのけてしまうようなトマシンにはただただぞくりとさせられてしまうばかり。そしてラストシーン、宙に浮かんで恍惚とした笑みを浮かべる彼女...

矛盾しているから悪なのか、こういった世界情勢だから魔女狩りをテーマにした作品を作るのか(るつぼが執筆されたのも赤狩りの時代ですし)。社会的な理由もたくさんあるでしょうし、ただ美しいホラー映画としても素敵な作品なのですが。でもベスト10に選んだ理由は、押さえつけられた環境から一気に自分を解放するトマシンの姿に今年最高のカタルシスを感じたから、かな。最高のハッピーエンド。

ネオン・デーモン

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ノクターナル・アニマルズ』を観るまでは「今年ベストかも」と思っていたニコラス・ウィンディング・レフン監督の『ネオン・デーモン。単純にレフン監督の世界観、美と狂気が入り乱れた映像、ホドロフスキーの『ホーリー・マウンテン』を彷彿とさせる構図、挙句の果てにはカニバリズムや屍姦まで...というストーリーがたまらなく好みということもあります。劇場で一回しか観ていないので、観たその時の「ヤバイイイイ」という余韻が未だに抜けず。笑 だからまた借りてみてみないとな...

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今の個人的な感想を述べると、外見的な美しさばかり繕いたくない。だってただの複製品に食べられちゃうから。レフン監督、敬愛するホドロフスキー監督に「この作品どうっすか?」って見せに行ってると思うと超可愛い。笑

ベイビー・ドライバー

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クールな音楽とカーチェイス、きになるあの子はダイナーの店員、主人公はゲットアウェイ・ドライバー...聞くだけでこんなにワクワクさせられる映画はありません💕 監督は超面白いのに意外と真面目なラストが多い(後始末をちゃんとする)エドガー・ライト監督。どんな作品なのかめっちゃくちゃ楽しみにしていました。

なかなか自分では発掘できない音楽にたくさん出会えて、ベイビーとデボラの恋にドキドキさせられて、脇を固めるキャラクターたちも皆魅力的で。ただ『ベイビー・ドライバー』をベストに入れた理由は「ただのカーチェイス・ミュージカル(町山さん風に)」ではないこと。

いつもサングラスをかけて音楽を聴いて、自分と外の世界を遮断しているベイビー。守りたい人ができてサングラスを外すベイビー。なぜ彼はゲットアウェイ・ドライバーをしなければならなかったのか?ラストは一見ハッピーだけれど、本当にデボラとベイビーは大丈夫と言えるのか?だって、『俺たちに明日はない』のオープニングとほぼ同じ状況だし...まさかアメリカン・ニューシネマのことや人格形成のことについて考えさせられるとは。自分の目でみて耳で聞いてこそ、初めて人生が始まるんだよね、ベイビー!

ダンケルク

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大好きクリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク。なんというか、こんなに“引き算”が美しい映画ってなかなかないのではないのでしょうか。

数少ない台詞の中で浮かび上がっていく、メインの青年たちのキャラクター。いくら国のために戦い多くの人を救っても、その人たちが生きて帰れるわけではないという残酷さ。運が良く生き残っていく主人公。果敢に立ち上がってもあっけなく殺されてしまう少年。あの映像とともにそんな戦争の現実を、思っていた以上に打ち付けられた作品でした。最後の主人公の悲しみと一種の絶望に満ちた瞳は忘れることができません。体はダンケルクから帰ってきたけれど、心はまだあの状況に。そして戦争が続く限り、また戦場に赴かなければいけないのだと...

軽い感想を言うと、出演されている方がこれでもかというぐらいタイプだったので、そのあと彼らの関連記事を読みまくってちょっと英語上達した気がします。感謝(?)

マンチェスター・バイ・ザ・シー

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アカデミー賞主演男優賞脚本賞を受賞した『マンチェスター・バイ・ザ・シー』。割と同時期に『ラ・ラ・ランド』が公開されていたような?でも『マンチェスター・バイ・ザ・シー』は上映館も少なかったなあ。

えーっと、普通に地味な映画だと思います。笑 この作品大好きだけれども、地味だとは思うの。笑 画面も鬱々とした寒色の景色。心に傷をおった男と甥の交流をただ淡々と描いていくだけ。だけれどこの作品が好きな理由は「終わらないから」です。物語の一つとして、決着がつかないから

映画は物語の始まりがあり、終わりがあります。でも普段なかなかそんなことないし、この主人公のように深い傷を負ってしまったらそれが癒えることなんて死ぬまでないでしょう。リーはこの映画が終わっても、少しずつ薄れていくかもしれないけれど自分のことを責めるだろうし、夜眠れない時もあると思います。“苦しみも悲しみも受け止めて生きていく”それをリアルに描き切った作品なのではないでしょうか。

一つ面白いと思ったのは、「意外と笑わせにきてる」描写が多いということ。序盤、リーがトイレかどこかを他人の家で修理しているとことか。人生は悲劇的なことも多いけれど、遠目でみたら喜劇に思えてくるものなのかしら。

エル ELLE

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ポール・バーホーベン監督による『エル ELLE』。これ、“変態映画”って宣伝されていたけど...別に変態映画ってわけじゃないでしょ!!

主人公のミシェルには最初からあっけに取られるばかり。レイプされても平気な顔で友人に報告する。女友達の彼氏と浮気する。元旦那の今カノが気に食わなくて意地悪する。終始表情も変わらず、果たして感情があるのかもわからず...そしてミシェルはついにレイプ犯を発見。でもさらにびっくりするのは、彼を受け入れてしまうこと。

そんなミシェルには昔、父親が殺人事件を犯し他という過去が。ミシェルは決して“変態”なのではなく、そのようなトラウマがあったから“自分を隠さないと”生きていけない女性だったのだと思います。自分がどうしたいのかも何を考えているのかも、わからないところがあったのかもしれません。まず彼女が社長を務めているのはアダルトビデオゲーム会社。あれなんて、“隠してる性的欲求”を満たすためのものですし。レイプ犯を受け止めたのは、同じように覆面をかぶることでしか自分自身になれない彼をみて“似た者同士”だと感じたからではないでしょうか。

でもミシェルにも、そんな自分と決別する時が。自分をしばりつける父が死に、母が死に、これではだめだと自分の覆面を最後には殴り捨てます。ミシェルの姿に大きく共感しました。大好き!凛として格好いい、イザベル・ユペール様!

 

 

ベスト10の作品はかなり個人的な理由や単純に好みがありますが。シンプルにもう一回観たいのはマグニフィセント・セブン』や『Dr.ストレンジ』『キング・アーサー』『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー2』。マグ7は『七人の侍』に触れるきっかけを与えてくれて、1人1人魅力的なキャラクターにワクワクさせられて。『Dr.ストレンジ
』はマーベルの中で一番好きな作品になりました。多次元的宇宙や時間の観念などあんなに一気に考えさせられるとは、そしてそれが映像で見えるとは...出演している方も大好きな人ばっかりで。

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キング・アーサー』ガイリチ流のアーサー王物語、楽しすぎ。笑 ドヤ顔ジュード・ロウ、メンヘラジュード・ロウ、俺様ジュード・ロウ...ジュードが演じる厨二ヴォーティガンに萌え萌え。GotG2は、ずるい!笑 ああいうお父さん系の話には涙腺が崩壊する!笑 音楽も最高でした、以前に引き続き💕

 

来年はどんな映画に出会えるか今から楽しみです。見逃した作品、チェックしなきゃ....

 

 

 

 

【旧作振り返り】映画『髪結いの亭主』感想 初恋と最後の恋は似ているというけれど

その時も良いと思っても、「これは後から絶対に思い出す作品になる」という映画がある。先日観た髪結いの亭主』は、私にとってはその作品の1つとなった。

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(この記事は映画『髪結いの亭主』のネタバレを含みます。)

 

髪結いの亭主』は1990年に公開された、パリス・ルコント監督作品

この物語は主人公のアントワーヌが、真っ黒な壁を背景に自分の頭を剃っているところから始まる。「頭には思い出がいっぱいだ」そんな台詞とともに、映像は一気に明るく暖かなものへ。12歳の夏、ノルマンディーで過ごしていたアントワーヌの記憶だ。

少年アントワーヌは理容室の女主人、シェーファー夫人に対して甘い感情を抱く。初恋であり、“性の目覚め”。そこからアントワーヌは「将来大きくなったら女の美容師と結婚する!」という夢を抱く。そして大人になり、彼はサロンで働く美しい美容師マチルドに出会い恋をし、2人は結婚するのだが...

 

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ふんわりとした暖色を基調とした映像、タイル張りのサロン。マチルドの赤いドットのワンピース、花柄のワンピース、スカートからすらりと伸びる足、ちらりと見える柔らかそうな胸。とても“お洒落”で、甘美な映画だった。しかし甘美なのはアントワーヌの回想の中のこと。真っ暗な背景で語る現実(現在)との対比といったら...

 

“男”“女”の対比もすごくなされていたと思う。

性に目覚め、恋心を抱いたのは女性美容師。そこからアントワーヌは“理想”を追い求める。“美容師と結婚する”という夢を。無事に美容師であるマチルドと結婚、アントワーヌはいつだって店に居座って、自分の理想像であるマチルドを眺め、時には働いている時にもちょっかいを出したりする。アントワーヌはノルマンディーで過ごした、12歳の少年の時のままだ。時折彼が踊る、店の雰囲気にとても合っているとは言えない“変な踊り”を踊るのは、自身を夢から覚めさせないようにする一種のまじないのようなものだったのではないか、と思う。

 

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対してマチルドは孤独な女性だ。「私には過去がないの」という台詞もあるように、彼女は1人で生きてきたのだろう。しかしアントワーヌに出会い、愛し愛される喜びを知る。しかし愛や幸せを知るということは、リスクを伴うことでもある。気持ちが深くなればなるほど、失う恐ろしさは膨らんでいく。「愛している振りだけはしないでほしいの」というマチルドの台詞には、そんな悲痛な思いが込められていたのだろう。甘い夢に浸っていたその時のアントワーヌは、彼女の言葉の重みを受け止めきれていたのだろうか...

 

愛が最高潮に達した時、それを止めるにはどうすればいいのか?マチルドがとった選択肢しかないのだ、きっと。

こういった映画を観ると恋愛は幸せなものだけれど、恐ろしく危険なものであると思う。2人だけの世界、とことんお互いを愛して酔いしれて、愛しているからこそその瞬間が終わってしまうことに怯えて。本当に恋に身を投じたら、マチルドのような行動に出ることはあるんじゃないのかと思えてくる。

 

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この作品のテーマには“思い出”もあるんじゃないかと思う。思い出はいつだって美しい。その証拠に、回想シーンで現れるシェーファー夫人の遺体は、死んでいるのに伸びた白い足が印象的に映されている。マチルドもそうだ。アントワーヌの中でシェーファー夫人とマチルド、2人の女性は美しい思い出として生き続けるのだろう。そう考えると“10年はあっというまに過ぎた 喧嘩は一回しかしなかった”という台詞があるが、もしかしたら小さないざこざ(というか、マチルドが1人で思い悩んでいたこと)はもっとあったんじゃなかろうか...彼の中で“神聖な思い出”として美化されているだけで。それは悪いことでは、決してないのだろうけれど。

 

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2人だけの世界で愛し合うアントワーヌとマチルドは、幻想と現実を行き来する姿はとても美しかったし、愛おしかった。今後アントワーヌはもう“理想”を追い求めることはせず、少年時代の初恋の呪いに縛られることなく歩んでいくのだと思う。綺麗な思い出に浸るのも良いけれど、現実の一瞬一瞬にもそのような愛おしさや美しさを見つけることができたらすごく幸せだなと思えた。甘くて苦い恋愛の難しさをまた改めて教えてもらった作品だった。もう少し大人になったら、主人公どちらかに強烈に感情移入してしまうこともあるんだろうか...

 

なぜ本を読むのか?について考えた+読書するときに実践していること/気をつけていること

昨日Twitterでお見かけしたタグ。#なぜ本を読むのか というものです。私はこのようにツイートさせて頂きました。

なぜ本を読むのか?今は電子書籍などでも簡単に本が読める時代。以前より本屋さんも少なくなっています。戯曲作品など読む人が少ない本は、回収されるために結構高いお値段で売られているものもありますよね。

私は小さい頃からお母さんに本を読ませてもらっていた記憶があります。推理小説が好きで江戸川乱歩や『シャーロック・ホームズ』シリーズ、あとは日本の宮沢賢治新美南吉も読んだっけ。太宰治夏目漱石を読むことができるようになったのは最近です(ちびっこの頃も読んだけど、わかんなかった...)。文章や映画が好きなのは、自分の人格は小さい頃の“読書”の経験が基になっている気がするので、お母さんにとても感謝しています。

今回はTwitterの文字数では収まりきれなかった“なぜ読書をするのか”という大きな問い、そして本を読む時に実践していること、気をつけていることについて書きたいと思います。

#なぜ本を読むのか

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知らない美しい言葉に出会えるから

日本語って難しい!笑 本の中にはたくさんの言葉が詰まっています。今ではもう使われないいわゆる“旧字”で構成された漢字。哲学書が訳されたものを読むと特にたくさんの言葉に出会うことができます。繊巧”、“包摂”、“畢竟”なんて言葉普段は使いませんもんね。笑 私は将来ものを書く人になりたいと思っているので、本を読んで自身のボキャブラリーをどんどん増やしていけたらという気持ちです。

語彙が増えれば自分のことをもっと理解できるのでは?とも思います。“なんて言ったらいいかわからない気持ち”とかを説明できる言葉に出会えるかもしれないから

自分が探していた答えに出会えるから

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考えても考えてもわからないことって多いです世の中...恋愛のこと、自分の夢のこと、将来のこと、大きくいうと人生のこと。でも本を読むとその疑問の答えに巡りあえることがあるんです。先人たちが記したものだから。

自分の疑問の答え、結論を知ることができる。それか今まではそう思わなかったけれど、「そうか、それって確かに疑問だわ」といった新しい洗練された問題に出会うこともあるかもしれない。「この人は今自分と同じ立ち位置にいる。そうか、こうしたら正解なのか」とわかること。哲学書は今まで考えたこともなかったような思想に出合わせてくれます。

でも本を読んでいろんな考え方に出会えば、「これは自分と違う」と思うこともある。自分はこっちの考えに賛同する、この意見には良いと言えない、それはなぜなんだろう?と咀嚼していくことが大事かと思います。

反面教師にできる(笑)

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物語にはいろんなキャラクターが登場します。『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのように、「散々いろんなことが降りかかるけど、1人でも前を向いてずっと生きていきたい!」っていう風に思わせてくれるキャラクターもいれば「あ、こういうことしちゃダメなんだ」って反面教師にさせてくれるキャラクターも。笑  こ

ういう恋愛の場合こんなことは言っちゃいけないんだとか、この人はこういう生き方をしたから破滅に向かったんだとか...本を読んでいる間に主人公たちと人生を共有して、自分も成長でき、学びがあるところも魅力なんじゃないかな。

“考える力”がつく

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本は難しいです。難しい言葉がぎっしり並べてあるものもある。昔の本を読んでみればまず文法がわからない。笑 哲学書を読んでみれば、主語を見失わないようにするのが必死。笑  その上どんどん今まで知らなかった知識が提示されていく...読み終わったあともその本について考えます。「あれは結局どういうことだったんだろう?」「自分はこの考え方を受けてどう思ったんだろう?」自分なりの結論が出て、やっと「その本を読みきった」ということなのかなと最近思っています。

そうして考える力が身につけば、何か問題が出てきた時に解決しやすくなると思うんです。それに、“考えた方がいい問題”“話し合うべき問題”と、“別に深く考えなくていいこと”の区別もしやすくなると思います。思考力を高めるという点で読書はとても良いと思います。

“運命”と感じる言葉、一節に出会える

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くさいですけど嘘じゃないです!!!笑 「そうそうこの文今の私にぴったり」「そういえばあの時はなんとも思わなかったけど、あの本に引用されていた詩は自分にとって大きな糧になってる」「難しい言葉は使われてないのに、あの文に救われた気がする」そんな“ピン”とくる言葉に出会える時がきます

私だったらニール・サイモンの戯曲『ビロクシー・ブルース』の中の台詞や『ダニーと紺碧の海』の台詞だったり、哲学書『ソクラテスの弁明』だったり。そこから考えが大きく変わったといっても過言ではないくらいの文、言葉を見つけるのは素敵な経験だと思います。それは先人たちがご自身の経験を、考えを書き記した“本”だから巡り会えることなんじゃないかな、と。

一つよりも、多くから

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私はまた映画が好きなので、映画をより深く観るために本から知識を得ることは大事だなあ...と思っています。映画の中で登場人物たちが本を読んでいたり、哲学書や物語から台詞を引用してってことあるじゃないですか。例えば『アリスのままで』には“三人姉妹”や“エンジェルス・イン・アメリカ』という戯曲が登場します。哲学、詩、歴史、洋服、映画の原作...たくさんのことを知っていればその作品を読み解くのがもっと楽しくなると思うし、考察しやすくなると思います。

なんでも一つだけの理由(原因?)から考えるより、たくさんの分野から考えた方がいい気がします。(引用元がたくさんあるっていうのかな?)だから映画をしっかり観るためにも、読書も並行してやっていきたい!

 

読書する時に気をつけていること

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なぜか小さい頃から速読の才能だけはあるようで、読むのはめちゃくちゃ早いです。(文字を追うというより、ページを見て文字が頭に入ってくるという感触です)でも今年でめっきり遅くなりました。それは本を開いている時にパソコンを開いて、ワードにメモっているからです。

さっきもお話した通り哲学書や昔の本はまず「読めねえよ」って漢字ばっかり。笑 最近からその本のわからない言葉、漢字などは全部パソコンで調べてワードに書いて、“自分なりのその本の辞書”を作りながら読むことにしました。(服や模様の説明は写真を挿入したり)哲学書だけじゃなく、ジョン・ル・カレ作品もすんごい時間がかかった...知らない国や地方がごまんと記されているので。この作業時間がかかるし、慣れない当初は面倒臭く感じました。でも慣れます、絶対。そしてすぐにはわからなくても、確実に自分のためになります。そして調べるのが当たり前のような本をたくさん読んでいると、もっともっと難しい本に挑戦しやすくなります。「読み応え」が実感できるというか。

もっと早くやってればよかった....

 

(ここからはちょっと個人的な話)

 

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でも本も量をたくさん読むことではなくて、“選んで、その一冊を読み込む”ってことが本当に大事なんだなと実感しております...

作家さんによって文章も雰囲気も違いますし、その世界観に浸ることはとても楽しいです。でもたまに読んでいて、「あの本とこの本、言ってることが一緒な気がする」「これってあの考え方一緒なのでは?」「この答えよりもっと自分が納得がいく答え、この前読んだなあ...」と思うことがあります。同じことが書いてある本を読むよりも、全く違う本、新しいことが書いてある本を手に取る方が成長にはつながる、と思う。

今私はまだまだ知識の蓄積がない状態。だから今本を読む時は、なるべく昔に書かれた作品を読むようにしたいと考えています。それこそ哲学書だったり、20世紀前半に書かれたものであったり、映画史の本であったり。今は九鬼周造の『いきの構造』という本を、「アメリカにいく前に日本の心を知りたい!」と思って読んでいる最中です。

だから今の状態で本を読むとしたら、「何かの根本が書いてあるもの」「普遍的に繋がっているもの」をチョイスしたいです。読書はとても時間がかかりますし、1日の時間にも限りがありますから...こうして書いてみると、“本を選ぶ”というのも難しい。(「多読は罪」って、誰か言っていたような)

 

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そんなわけで、#なぜ本を読むのか でした!いろんな人の意見も知りたい!

【日記】「ライターじゃなくなった時、今までよりもライターになれた」

 

 

 

※ただの日記のようなものです😭

 

 

 

22歳の誕生日前に、“21歳の一年間で学んだ/考えた5つのこと”というブログを書いた。それを読んだ友達がこんなことを言ってくれた。

 

「面白かったよ。あれは萌香にしか書けないよね。

前みたいにweb媒体で記事は書いてないけれど、その時より今の方が“ライター”だよね。」

 

その友達から私はたくさんのことを学んでいるので、そう言ってもらえたのはとても嬉しかったし、読んでくれたのも嬉しい反面かなり恥ずかしかった。笑

 

「前よりも今の方がライターだよね。」

 

すごく考えさせられる言葉だ。“ライター”って言っても、正直どこからどこまでライターと言っていいのかわからない。ニュースを伝えるのは記者さんなのか、ライターか。自分の意見や考えを書き連ねるのはコラムニストか。映画の考察を書くのは批評家さんか。町山さんは“映画評論家”だし...

一昨年から今年までweb媒体で“ライター”として記事を書いていた。海外の間で流行っているコスメは?人気モデルさんのお手本にしたいコーディネートは?あの映画のおすすめするところは?恋人と一緒に観たい映画おすすめ5選は?ファッションのお手本にしたい映画は?

今までに上がっている記事とは差がつくように、映画でもいろいろな視点から記事が書けるように自分なりに考えたし、努力した。音楽やファッションのこともたくさん調べた。でもその友達にもだし、とある雑誌の編集長の方からもこう言われることがあった。「君の文章は自己愛に溢れているわけじゃないし、文法も間違っているわけじゃない。読みやすいと思うよ。だけれど、誰にでも書ける記事なんだよ。」

 

言われた時はよくわかっていなかったし、「えっあんなにいろいろ考えたんにこれ誰にでも書けるんか...」と悲しくなった。笑 でも確かに“もうすでにあることを掘り返しているような”記事だったと今は思う。だから“誰にでも書ける”記事だった。

 

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自分でブログを始めてからは、文章のうまさや良し悪しは置いておいて“自分にしか書けない記事”が少しずつ増えてきたのではないか、と思っている。この前の“学んだこと”の記事もそうだし、映画の考察/感想記事も、自分が思っていることをそのまま書くようになった。個人的な感情も交えて書くようにもなった。今回の記事みたいに、日記代わりとして書くこともあるようになった。でも個人のブログだからと言ってもちろん下調べを怠ったりとかはしたくない。もっと自分らしい記事が書けるように、自然とたくさんのことを今までよりも調べるようになった気もする。

 

TwitterFacebookですぐに拡散できる今、記事を読んでくださった方の反応をすぐに見ることができる。「面白かった」と言ってもらえるとすごくすごく嬉しい。それにたくさんの媒体がある今、“ライターです”と名乗ることはそこまで難しくはない...と思う。だけれど、“社会からライターとして思われること、誰かからその肩書きの人と観られること”と、“自分はライターだ、その職業の者だ”ということは、全然違うのだ誰かから“映画のことを書いているライターさん”と思われるように維持し続けることと、“自分が映画のことを伝える人、考える人”であるように維持し続けることはきっと熱量も全然違うんだ。

 

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“その肩書きじゃなくなっても、自分がそういう人であり続けること”“社会からどう思われるかじゃなくて、自分がそういう風でありたいと思って行動し続けること”私は今年学んだことが多い一年だったけれど、これもそのうちの一つ。“自分はどうなりたいか、どうでありたいか?”ということは、これからもずっと問い続けていきたいと思っている。